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前回のレポートで遠州浜松駅跡地を発見。
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遂に明確な軌道跡が姿を現した。

第二回はこの続きから始まる。



◆遠州浜松駅 - 北田町駅

7:20
遠州浜松駅から北田町駅まではわずか300m程度だったと思われる。
ひとまず遠州浜松駅を後にする。

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クリエート浜松の北口(遠州浜松駅北側)のアーケード。
なんともいえない寂しさが漂っている。

昼間でもそんなにここを人が通ることは無いのだろうか。
通ったとしてもクリエート浜松に用がある人。またはショートカットで使用する人もいるだろう。
その中で過去にここに電車が通っていたことを知っている人はどれくらいの割合なのだろう。

そんな疑問を抱きつつ歩みを進める。
軌道跡はこの先左にゆるやかに弧を描いていたと思われるが、道路と駐車場に代わってしまっていて確認ができない。



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アーケードをくぐると目の前には現在現役の「遠鉄電車」が姿を現す。
通称『赤電』だ。
浜松市を南北に貫くローカル線で通勤通学の時間帯では利用者も非常に多い。


静岡県浜松市は公共機関の交通の便が非常に悪く、街から離れると路線バスも1時間に1,2本しか走ってない場所はざらにある。
道路の総距離も静岡県で一番多く、静岡市の約3倍とも言われている。
その分、事故も多く、ここ最近では静岡県では事故発生件数ワースト1位を何年もキープしている。
マナーもここ最近非常に悪く、トラブルの報告も年々増加しているという。

話を赤電に戻すが浜松市助信駅以北では地上から高架への工事の真っ最中である。
交通渋滞がだいぶ緩和されるのではないだろうか。


遠州鉄道奥山線の軌道跡はわかりにくいが赤電の下の黄色い部分を通っていた。もちろん、当時赤電は存在せず、ここから見る景色はもっと空が広かったに違いない。

高架下には小さな公園があったが、路上生活者が気持ちよさそうに睡眠をとっていたので、写真撮影は控えておいた。



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赤電の高架をくぐると、また軌道跡が姿をあらわす。緩やかに左カーブしているのが見て取れる。
ここから北田町駅はすぐそこなのだが・・・。全然わからない。




==========<追加補足>==========
後日調べて分かったのだが、軌道跡は『正面の道』ではなく、『右に連なる住宅の真下』を通っていたようだ。
当時の川沿いに電車が走る写真も残されていたので間違いないであろう。

以降のこの連なる住宅が終わるまでのレポは少しずれている。
道路を軌道跡としてレポートしているが、『道路の右側』が軌道跡になるので、その点もご留意してご覧いただきたい。
探索ではニアミスであった。後日再探索をしてみたいと思う。
==========<追加補足ここまで>==========





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地図を見るときっとこの辺に北田町駅があったんだと思われる。

くまなく探せば痕跡があるのかもしれないが、くまなく探している時間も無いので歩きながら散策。

現地の人がいたので声を掛けてみたのだが
「ここに今は電車は通っていないよ」
という答えが返ってきた・・・。
ま、まぁそうだよね・・・。

ちょっと話が長くなりそうだったので、お礼を言ってその場を早歩きで通過笑。



◆北田町駅 - 元城駅

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北田町駅の痕跡は確認できなかったが、そのまま歩みを進める。
北田町駅から200mくらい進むと左に少しだけカーブする。

特に当時のものと思われるものは見つからない。




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振り返って撮影。
太陽がようやく僕らを照らし始めた。
この逆光の中に北田町駅があるはず。情報を持っている方がいたら教えていただきたい。

というか足がかなり寒い・・・。
むしろ歩いていても体がなかなか温まらないくらい気温が低い。




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歩みを前にもどす。
ゆるいカーブを曲がるとしばらくまっすぐ軌道跡が進んでいる。

正面で太陽に照らされているでかい建物は、浜松でも大きなホテル「ホテルコンコルド」だ。
あの建物の足元に元城駅跡地が眠っている。



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元城駅少し手前に石垣があったが、これは奥山線現役当時からのものかは確認ができない。
石垣の隙間はコンクリートで固められていたので「後物」かもしれない。

でもここは浜松城から目と鼻の先なので、その名残の可能性もある。
だとすればこの石垣は奥山線現役当時から線路を見守っていたのかもしれない。



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元城駅跡地に到着。現ホテルコンコルド。
奥山線についての痕跡は特に見当たらない。
そのまま通過。

左奥に進んでいる道路がその後の軌道跡だ。




◆元城駅 - 広沢駅

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元城駅の左を見ると(南側)、浜松城が浜松市を見下ろしている。
朝日に輝く天守閣がなんともいえぬ緊張感を演出している。

「あ、あれ、徳川家康じゃね?」
とついつい言ってしまいそうな悠々たる姿だ。言ってないけど。

浜松城の歴史は詳しくないが、徳川家康が築き、長い間ここに過ごしていた。
その名残が全国的にも有名な「浜松祭り」だ。
徳川家康が子供の誕生を祝って凧を揚げ始めたのが始まりといわれている。
今では夜に御殿屋台の引き回しもやっているが、観光用の「後物」らしい。


2011年3月の震災の影響で、祭りが始まって以来、初めて浜松祭りは中止になった。
長年続く行事を震災によって中止にすることに関して賛否両論の意見が飛び交った。

中止の決め手は震災の援助のため警察や消防が東北に人手を派遣していて、警備員の人数確保ができないという理由だったらしいが真偽は不明。
浜松市中が交通規制を掛ける大行事なので、「祭り人を守る人」が確保できなければ確かに開催はしないのも懸命な気もする。
でも正直やってほしかったのが本音。

難しい判断だ。僕なら決断することができない。中止を宣言した人は賛否両論あれど、僕個人としては賞賛に値する。



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元城駅から次の広沢駅まではゆるい上り坂になっている。歩いているとわからないが、自転車で通過した場合、常に少し力が必要だと思う。逆に奥から自転車で下ってこれば時々漕げば楽に進めてしまう勾配だ。

ここは元城駅から200mくらい進んだ場所。
左側は浜松城公園。春には花見客ですごい賑わいを見せる。



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前の画像から50m進んだところにあった看板。ふーん。



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看板からさらに100m進んだところで左に少しカーブする。
ここら辺一帯は浜松城公園の中を通過していて、街中にも関わらず両側を緑に囲まれている。



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ここから有名な「例のトンネル」までまっすぐ進んでいる。奥にそのトンネルが小さく写っている。


ふと右を見ると・・・
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おお・・・。こんなところにプールがあったとは・・・知らなかった。
コケの具合を見ると夏では営業していそうな雰囲気だが、ここで賑わいの余韻を感じることができなかった。
もしかしたら「廃」なのかもしれないが・・・でも水が貯めてあるので現役?消防用?謎だ。



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例のトンネルの100m手前まで来た。
昔から何度も通過しているのであんまり感動はないが、同行の猫短借さんは興味深々だった。
いいなー、楽しそうで笑。



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トンネルに到着。
トンネルの前には車が入れないように柵が設置してあるが、その柵も「バリバリ電車通り」を演出してくれている。

このトンネルを一度くぐれば、初めて訪れた人でも「ここに電車が走ってたんだ」と強く印象つけられるような、インパクトの強いトンネルになっている。理由は下記。



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トンネルの名前は亀山トンネル
観光用に綺麗に作り変えられてしまっているが、歴史を大事にしている感じは好印象。

まぁ個人的には綺麗過ぎて・・・。
当時の悠々たる姿を生で拝んでみたかったものだ。



トンネルの入り口には下記のような奥山線を紹介する石碑が建っていた。
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これもなかなか年季が入っている。僕が中学の頃からあるので、15年は経過している。綺麗に保存されているので時々掃除に来る人がいるのかもしれない。
まぁ市の管理なので定期的に落ち葉などの掃除には来るのであろう。


個人的に一番熱かったがこのプレート。
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『なつかしの奥山線』
地図がかなり詳しく書かれていて、僕が下調べで作成した地図の間違っている部分を、多く導き出してくれた。
これを拡大コピーして探索をしていれば、もう少し精度の高い探索ができたんじゃないかと思う。

時間ができたら、この地図を片手に再探索をしようと思う。他にも見落としがたくさんあったので笑。



いざ入洞。

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綺麗な弧を描いた洞内。こういう造りをした随洞(トンネル)をなんて言うのか専門知識が無いのでわからないが、昔の随洞ではよく使用されていた形だ。
随洞の内部の画像がないのでわからないのだが、当時も入り口と出口は今のようにレンガ造りだったと思われる。


随洞内にはいくつか「掲示物」があったので画像をずらっと掲載しておく。
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他のサイトでもこのような当時の画像をたくさん見ることができる。
歴史については「それを専門とした偉人」に任せて、今現在の奥山線を調べることに徹する(言い訳笑)。



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亀山トンネルを出て振り返って銘板を撮影。
元城駅側は木が邪魔していて醜かったが、こちらには視界をさえぎるものは存在していなかった。
常に日陰にあるためか汚れが目立つ。これはこれで、なかなかいい雰囲気を出していると思う。



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寝ているのは僕本人だが、特に意味については触れないでほしい笑。
僕らしい写真撮影の方法なのだ。

なかなか綺麗に撮れて満足。撮影は猫短借さん。ありがとう。



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トンネルの出口から進行方向を見て撮影。トンネルを抜けてすぐのこの辺が
広沢駅だった。
地図を見るとかなりの急カーブに駅があったのかと思っていたのだが、意外に場所は広く駅があってもおかしくない景色だった。



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ふと右を向くと広沢駅があった証拠石碑があった。かなり立派に作られている。
石碑の後ろに大きなアパートができてしまっているが、当時は畑があったことをこの石碑が証明している。

今は陽があたりにくい場所になってしまっていたが、当時は太陽に照らされながら亀山トンネルを出入りする姿が見れたのかもしれない。

現在の時刻は7:48。とりあえず寒い。




第2回レポートでたどった軌道跡は下記の画像で確認いただきたい。
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右から左に向けて歩いてきた。
右の丸からたどってきた順で、遠州浜松駅、北田町駅、元城駅、広沢駅だ。

北田町駅の痕跡を確認できなかったのが残念だが、情報無しで再探索しても希望が薄いので、しばらくサイトで情報収集をしておきたいと思う。

ここから先は路線にしては急カーブで北に進路を変更し、長い間北上していく。



第三回につづく