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遠州鉄道奥山線探索2011 最終回レポート
前回竜ヶ岩洞近くの田畑駅まで探索してきた。
本線レポートについては今回が最終回。
◆田畑駅 - 中村駅
田畑駅を出発するとすぐ左側に井伊谷川が流れている。水は非常に綺麗で竜ヶ岩洞関係の清流遊びができる施設も田畑駅周辺にある。過去に一度鮎のつかみ取りを経験した記憶がうっすらとだがある。
軌道跡は左に緩やかにカーブをしていく。ここから中村駅まではずっと左に曲がって行く印象だ。
軌道跡の途中になんだかちょっと恐いものを見つけた笑。動きそうだ・・・。
普段は地中に埋まっている排水などを処理するものだと思われるが、偶然にもこのような形になってしまったのか・・・。時々夢に出てきそうだ笑。
軌道後は右側に斜面を保ち、右側に川を少し遠めに見つつ左の弧を描いていく。
時折現れるこのような割り堀はなかなかテンションが上がる。それにしても足がマジで痛い。
右側の斜面には石垣が形成されていた。隙間にコンクリートが流し込まれていたので、後物の可能性もあるが、石達がいい雰囲気をだしているので、石自体は当時のもので隙間をコンクリートで固めたのかもしれない。
それにしてもすごい綺麗に並べられたものだ。
日陰部分と明るみの部分を交互に繰り返しながら軌道跡は続く。
これは当時のものだろう。コンクリートは後だと思うが。それにしても大きな石垣だ・・・。
太陽が真正面に現れてきて非常にまぶしい。そして寒い。足も痛い。でも道はまだ続く・・・。
実は田畑駅付近で撮りたい写真を忘れていて、少し走って戻ったのだが、その時に右足の間接に激痛が走って、それからずっと引きずりながら探索をしている。今思い出しても冷や汗が出てくるほど痛かった。
ここで一旦右カーブに「反って」いる。軌道跡は右奥の木下を通過していく。
大きな木の右側にはいい雰囲気のお寺が佇んでいた。僕はお寺が非常に好きなので、ここで少しだけ一呼吸をおいた。さぁ、ゴールまでもう少しだ。
『反り』が終わり改めて左カーブが登場する。
ぐぐぐぐっと左カーブする。大きな勾配はあまり無いが、上ったり下ったりを緩やかではあるが繰り返している。
左カーブを終えると先が見通せるくらいの緩やかなカーブに変わる。
この後、道は右カーブをしていくのだが、その右カーブの付け根が次の駅、中村駅周辺だ。
この奥に中村駅があったはずなのだが特に痕跡は見当たらなさそうだ。
再び県道303号線が姿を現した。軌道跡は303号線とクロスしまた離れていく。
この交差点付近が中村駅周辺だと思われるが特に「中村」と思われる文字が特に確認できない・・・。
県道303号線にバス停があったのだが、肉眼では確認できず・・・。行く気力も無かったのでカメラのズームで撮影し、中村の文字を確認した。
きっとこの不思議な空き地部分が中村駅の痕跡だと思われる。当時の地図を見てもこの周辺で間違い無さそうである。
◆中村駅 - 小斉藤駅
中村駅を過ぎると前述したとおり右カーブが開始される。右カーブの後はしばらく直線なのだが、ここの景色が非常に綺麗であった。
一面田んぼ!!奥には山々が堂々と待ち構えている。
といいつつ、紹介している画像は左を向いて撮影した画像だ。軌道跡は僕の足元を左から右に通っている。
この景色は非常にインパクトがあり、疲れを少しの間だけ緩和してくれた。
猫がいる。僕が連れている野良猫・・・、ではなく猫短借さんがどうしたかは言うまでもない。
今回の探索で思っていたよりも野良猫に遭遇しなかった。
軌道跡はこのような景色だ。太陽がだいぶ傾いてきた。
軌道跡は両側に田畑を抱え直線で進んでいく。この先に遺構が少しだけ残っているということで楽しみにしていた。
ここで太陽とお別れすることになってしまった・・・。探索を開始して9時間・・・。
予定では7時間くらいの予定だったのにかなり時間オーバーしている・・・。
足痛いよ~寒いよ~。
太陽と分かれたがまだ光は絶えていない。ISO感度を高めに設定して探索を続ける。
田んぼ道を過ぎるとコンクリート橋に差し掛かった。この橋の足元に遺構跡があるという。
ということで覗き込んでみると、レンガ作りの橋台が残っている!!
手前側はコンクリートで補強されてしまっていてレンガは確認できないが綺麗に残っている。
橋をじろじろ見ながら渡っていく。橋のデザインが途中で切り替わっていることも「遺構」を意味するのには十分な説得力を持っている。
橋の付け根の部分は当時のコンクリートのままっぽい雰囲気がした。コンクリートが少し削れ、コンクリートに含まれる石が少しだけ顔を出している。
振り返って撮影。「二種類」の橋と田んぼ道のこの直線の眺めが美しい。
手前の手すり部分は白い部分以外は当時のままだろうか。
軌道を進んでいこうとおもう。橋を渡り終えると一斜線道路と合流する。道が綺麗に舗装されていた。
民家の間を浅い割り堀で通り過ぎていく。奥の止まれ付近に小斉藤駅跡があるはずだ。
小斉藤駅に到着!!
奥山線が通っていたことを証明するこのような看板も立っていた。
もう少し拡大。当時の写真が掲載されている。この写真が僕らが通過した軌道跡のどこだったのか、探索の跡に振り返るのが、これがまた楽しい。
下側も拡大。浜松駅からのイラストの地図が載っている。これもなかなか見てて楽しい笑。
小斉藤駅に到着する動画もなぜか撮影していたので公開しておきたいと思う。
改めて動画を見てみたが、きっと足が痛い感じを伝えたいのだと思う笑。
◆小斉藤駅 - 奥山駅
小斉藤駅を出発すると左に民家、右に田畑といった地形を保ちながらうねうねと蛇行しながら進路を進めていく。
とりあえず寒い、寒いんだ。
太陽がかなり沈んでしまい・・・太陽の光を反射してくれている山々も闇に吸い込まれていく。
次の駅がゴールだ。頑張ろう。
カラフルに塗装された工場の間を通過していく。この景色は非常に印象に残っている。
古めかしい遺跡のようなものが道路の左側に鎮座していた。線路や主要の道路脇には比較的このようなものがよく存在している。
これも奥山線を当時から見守っていて、ここを通る人たちはあがめていたのかもしれない。
ホントにうねうねしている。でもこの道の形状を見てもこの歪さが逆に軌道跡と言うことを彷彿とさせてくれるような気がする。
右側に綺麗な橋が架かっていた。県道68号線だ。すぐ橋の右側には県道303号線の交差点が存在している。
県道303号線と何度も交差しながらここまでほぼ平行して進んできた。
正面の木々の中に入り込むと、県道303号線とはここでお別れだ。少し寂しい。
「森」部分に入り込むと左カーブを始めるのだが、軌道跡はそうではない。
ガードレールの向こう側にその理由が隠されている。
こ、これは遺構!!
奥山駅の目の前にしてこのような遺構が今でも綺麗に残されていた!!
残っていることは知っていたが、それでも10時間の探索の間、積み上げてきた奥山線への思いもあり「会えてよかった」と心から言える遺構であった。
奥山線探索の一番最後の遺構となるであろうこの橋の痕跡。
今でもしっかりと橋台と鉄橋は当時のままそこに鎮座していた。
う、美しい・・・。
非常に綺麗なまま残されている。きっと浜松市も探索者のために残してくれたに違いない。と思いたい笑。
きっと残っていても特に危険性がないと判断し、残されているのだろう。徐々にさびが進行して老朽化してきたらきっと撤去されてしまうに違いない。
全国のこのような遺構は、一応管理&監視されていて、老朽化が進むと撤去されることが多いのだ。
時刻も17:00に向け、視界に移りこむ光が刻々暗闇に包み込まれているので、名残惜しいがここでお別れとしたい。
反対側に回り込んでみよう。
少し遠回りをし一般道の橋を渡り反対側に回りこんで、振り返って撮影。
奥から手前に左カーブを描きながら軌道跡は進んでいたと思われる。竹やぶの右奥に先ほどの鉄橋があるのだが、ここからは木や草が邪魔をして確認できなかった。
進行方向を向いてみると、そこには家が建っていた。正確には酒屋である。
この家の向こう側が奥山線の終着点、奥山駅だ。
酒屋を超えて奥山駅跡を撮影。
現在は遠鉄バスの停留所になっている。
少し前まで駅の名残の鉄の骨組みがあったようだが今は綺麗さっぱり撤去されている。
見れなくて残念だ。
綺麗になりすぎていて、名残がないものか一生懸命探してみたのだが何も確認できなかった。
というか疲れていてあまり隅々まで確認していない・・・。
もしかしたら奥山線の案内の看板などがそこにあったのかもしれないが。
他の方のレポートを見てもそういうものは無さそうであった。
最終回で探索したルートはこちら。
井伊谷川沿いを無駄なく確実に進んでいる印象だ。
この区間の景色はあまり代わり映えはしなかった。自分自身の疲労も相まって単調な探索にしてしまったに違いないが。
自転車とか疲労が無ければ「奥山線まであと少しだ」と胸を躍らせていたに違いない笑。
またそのワクワクの気分を楽しんでみたいので、次回は自動sh・・・(自粛)。
それでも奥山駅直前の橋の遺構は楽しませてもらった。所々に見所がある奥山線なかなか楽しいものであった。
徒歩距離:25キロ
探索時間:10時間20分
奥山線感動:プライスレス
もう歩いてはやらない笑。
結局昼ご飯食べてなかったが、そのせいもあって疲れがかなりたまっていたのだろう。
猫短借さんが大あんまきをお土産で買っていた。僕には体力的・精神的にそんな余裕無かった笑。
帰りはどうしたのか?という質問を受けたのだが、帰りは遠鉄バス!!
バスに揺られ1時間弱で浜松駅まで到着した。文明の利器だ。
帰りのバスは暖房が心地よくほとんど爆睡していた。
立ち上がるときに疲労が蓄積し筋肉が硬直してうまく立ち上がることができなかった笑。
ひとまず探索についてはこれで終了とさせていただく。
細かく読んでいただけた皆様感謝!!
まだまだ見つけられなかった遺構などがあるようなので、また時間や「やる気」が出来たら、追加探索をしてみたいと思う。
御清聴ありがとうございました!!
何かコメントなどあれば、いただけますと励みになります。
遠州鉄道奥山線探索2011 第11回レポート
前回、消えた橋を見ることができた。今回は正楽寺駅から歩みを進める。
◆正楽寺駅 - 井伊谷駅
2011/12/11 14:21
ここは正楽寺駅の場所だ。道は右へ曲がって行くのだが、軌道跡はこのまま正面へ突き進んでいく。
目の前の交差点へ行ってみよう。
今は小屋が設置されていて先が見通せないが、軌道はここを左へまっすぐ進んでいた。
県道303号線とはここで別れる。
10m進むを左に道が見えてくる。この木の陰に隠された少しくらい道を進んでいく。
とりあえず足がマジで痛いです・・・。
交差点から100mくらい進んできただろうか。左にミカン畑が広がっている。
ここもさりげないが軌道が小さい割堀を築いている。
ここのミカン畑で猫短借さんがここが軌道跡だったことを証明するものを撮影していた。
これが猫短借さんが撮影した画像だ。この石杭の『工』という文字は覚えているだろうか。
そう、これは岡地駅の所で見つけた天竜浜名湖鉄道の石杭に形は違えど同意である。
今は線路はないのだが、この石杭は残されていたのだろう。
かなり価値のあるものを猫短借さんは撮影していた。すばらしい。
割堀が徐々に徐々に深くなってきた。100m先は割堀が終わっている。
ここまでずっとほぼ直線で進んできた。割堀の終わりから右に曲線を描いている。
割堀が終わると、いきなり両側が低くなっているのが分かった。
まずは左側を撮影。
そして右側も。木々に隠れてしまっているが、かなり高低差があった。
線路を作る前はきっとここは深い谷になっていたため、土を盛って線路の場所を確保したのであろう。
それにしても綺麗な盛土だ。
盛り土を下から見上げて撮影してみた。斜面も綺麗な角度を保っている。
う、美しい・・・。
両側の視界が開けた盛り土を楽しみつつ前へ前進する。
この周辺に盛り土を作ったことによって、水が貯まらないように水用トンネルが作られているようで、そのトンネルも今でも当時のまま残っているということだ。
今回の探索では時間と体力がなく捜索は見送った。
少し行くと神社が道路沿いにあった。これも当時から崇められているものであろう。
盛り土付近で右にカーブし、神社を過ぎたあたりで左に大きく弧を描くのだが、その弧の頂点に井伊谷駅があった。今では何も残っていないのだが左の花壇が「それっぽい名残」を演出してくれている。
◆井伊谷駅 - 四村駅
井伊谷駅を過ぎても大きな左カーブが続く。両側に木々が生い茂りさらに森の中へ入って行く印象だ。
このような岩を切り崩した綺麗な割堀がいくつも存在していて、ここの探索は非常に楽しかった。
でも足痛い・・・。
狭い道なのにもかかわらず、交通量が非常に多い。
先程おわかれした県道303号線の裏道になっているらしく1分おき位に車が結構なスピードで通過していく。
右に不自然な平地があったが軌道跡とは関係があるのだろうか。
あぁ、また車が来たよ・・・みんな歩行者歩いてるんだからもう少しスピード落としてくれよ・・・。
この付近で大きな弧を描く左カーブは終わりある程度まっすぐな道が進む。
くねくね進んでいるように見えるが地図で見ると北西にまっすぐ進んでいる印象だ。
このような道をしばらく進んでいく。
左にカーブしているところで、右側が低くなっているところがあった。
水の音が聞こえていたので覗き込んで見た。
おお、癒しの空間だ。しかし、12月。やっぱり寒いな・・・。
いつの間にか川沿いに近づいていたようだ。列車からの景色も非常に綺麗だったんだろう。
森に軌道跡が吸い込まれていく。
少し行くと右側に何や木製のバリケードが設置されている。
おお・・・道が崩れている・・・。夏過ぎの大雨の被害は非常に大きな被害をもたらしている。
ここにもつめ跡が残されていた。
森を抜けだせそうな景色だ。明るみが眩しい。
でも温かいところに早く行きたい。寒い・・・。
明るみに出ると狭い橋が見えた。軌道もここは橋を使って渡っていた。
えええええ・・・すげー狭いところトラック走ってきた。
運転手、かっこいいぞ笑!!
でも僕らが歩いていたら引かれていた笑。それくらいの狭さだ。
左に綺麗な弧を描く橋である。橋台に名残があるかもしれないが軽く覗き込んだ感じなさそうであったので、そのまま先へ進んだ。
ぐぐぐって緩やかーに左に弧を描く。住宅がちらほら見えてきた。
この辺は引佐町の町あ広がっている。
この200mほど先に四村駅付近だ。
少し前まで四村駅の建物が残っていたらしい。今はどうだろうか。
四村駅付近までやってきた。この辺にあると思うのだが・・・。
でもネットで見たような建物は何も残っていない。この変だと思うのだが。
すぐ北側には正楽寺駅過ぎでお別れした県道303号線が近くまで近づいてきている。
その大きな道まで一度出てみて、何かヒントがないか確認してみる。
303号線に出る前にこのような古い建物が存在していた。
きっとこの建物も奥山線の歴史を知っているのだろう。
この砂利道で303号線へ出てみたのだが何もヒントは見つけられなかった。
そして、軌道跡に戻ろうとしたとき・・・
おおおおおおお!!
送運村四!!!逆だ笑!!
四村運送という文字!!
これは当時この辺に駅が存在していて、その駅から色々な物を電車で運んでいた。
その荷物の整理をしていたのがこの場所ではないだろうか。
今でも高速のインターの近くや駅の周辺には運送会社が多く存在している。
昔から人々の生活を支えるため物資の流通には電車が欠かせなかったということだ。
駅の場所が明確ではないがこの周辺で間違いなさそうだ。
==========<追加探索>==========
12/18
ということで再探索で四村駅の場所が分かったので報告しておきたい。
上の初回探索でも「この辺」として画像を撮っていたのだがその中に四村駅付近が写っていた。
3つ上の画像の木製のバリケードがあったと思うのだがそこが四村駅だった。
建物の画像がいろんなネットで掲載されているが、今回の探索でも非常に参考にさせていただいている
外部リンク『遠州鉄道奥山線を訪ねて』様から転載させていただきます。
すこし前まで存在していたらしい。見れなくて残念だ。老朽化が激しく取り壊されてしまったらしい。
つい最近までこの建物とこの場所が売りに出されていたらしい。鉄道ファンが購入したのだろうか笑?
==========<追加探索ここまで>==========
◆四村駅 - 田畑駅
四村駅を過ぎて、なお民家の間をするりするりと軌道跡は進んでいく。
軌道跡はまっすぐまっすぐ進んでいく。
猫短借さんが野良猫を見つけたようで非常に反応している!!
猫短借と言うくらいだから、猫が好きで好きでたまらないのだ笑。
猫を見つけてウロウロしてたらどっちが野良猫だかわからない笑。
猫を撮影する「野良猫」は放っておいて先に歩みを進める、足も痛いし笑。
軌道跡を進むといきなり右に折れてしまった。
しかし軌道はこのまままっすぐ進んでいた。
ここを右に折れ曲がるとすぐに県道303号線とクロスする。
県道303号線には用がないので303号線を横断し、軌道跡の続きを進んでいく。
民家は途切れ、ここからは山の斜面に軌道跡が形成されていた。
このような道がひたすら伸びていく。
この道は「竜ヶ岩洞」への連絡道にもなっていて、時折一般車が通過する。
軌道跡らしく勾配もきつくなく少し先まで見渡せる景色が気もちいい。
右側には石垣が築かれている。
ここは登り勾配から下りに変わるところで地面の斜面が緩やかに弧を描いて盛り上がっている感じがとても綺麗にかんした。
「林間」区間を通過すると開けた場所に出てきた。奥の山々の景色がとてもすがすがしい。
ここから山間部をまっすぐと軌道跡が走っていたのだろう。
しばらくするとフィッシュパークの看板が現れた。
夏には結構賑わう場所だ。
近くには先程も記載したが「竜ヶ岩洞」という鍾乳洞があるのだ。
真夏でもかなり涼しく天然のエアコンを求めて観光客が殺到する。
余談だが、竜ヶ岩洞には東海地区の観光バスのバスガイドのオススメナンバー1と称されるアイスがある。
以前食べてみたが、非常に美味しかった。いろんな味があって選ぶ時も非常に楽しめる。
そしてここの砂利の駐車場に田畑駅が存在していた。
今はすっかり姿を消してしまっている。
ちなみにここの交差点を右に行くと「竜ヶ岩洞」がある。
交差点にはこの様な水車の名残が存在していた。当時のものだろうか。
電車の車窓から見えた景色にこの水車が回転している「のどかな風景」が存在していたのかもしれない。
少し脱線だが上の交差点を左に曲がると古い橋がかかっていた。
この橋の名前は「田畑橋」。この場所が「田畑」ということを証明してくれた代物だ。
逆光になるほど太陽が傾いてきてしまった。日が暮れる前に探索を終えたい。
ということで先に歩みを進めていきたいと思う。
今回の探索ルートはこちら。
下から正楽寺駅、井伊谷駅、四村駅、田畑駅だ。
山の中とまばらの民家の間をすり抜けていくような軌道跡だった。
四村駅手前の左曲がりの橋の下には当時の名残があるらしいが探索できていないのが名残惜しい。
「四村運送」の発見には非常に興奮した、今回の探索区間だ。
探索も終盤。奥山駅まで残りもわずか。
最終回につづく
遠州鉄道奥山線探索2011 第10回レポート
◆気賀口駅 - 正楽寺駅
この画像は前回の気賀口駅レポートの最後の画像だ。今回はここからスタートする。
少し先で右にカーブしてすぐに橋があるのだが、軌道跡はこの橋は渡らず、手前の土手を進んでいく。
ここで前回でも使用した画像を一度見ていただきたい。
一番左の丸が気賀口駅なのだが、そこから先のピンクの軌道が恐ろしいことに川を斜めに横断している!!
これは本当なのか。この目で確認しなくてはいけない。
ということで橋の付け根にやってきた。軌道跡の土手の上を進んでいきたいと思う。
ここは普段からどこかの工場の出入りで使用されている道らしく、砂利ではあるが非常に平坦で綺麗に舗装されていた。
地図でも見たように右へ緩やかに弧を描いていく。
しかし初回探索では足が痛すぎたし、時間もやばくなってきたのでここで折り返して、先へ進んでしまった笑。
この先は初回探索ではまったくもって興味がなくなっていた。この辺りから「とりあえず無事にゴールへ」という目標に変わりかけていたのは言うまでもない笑。
ゆえに見つけられないものも多かったのだが。
==========<追加探索>==========
ということで再探索でこの続きを補いたいと思う。
まだ日が昇っていない朝、初回探索で引き返した場所までやってきた、車で笑。
車って楽なんだな~。僕らが初回探索で10時間かけた道のりも、1時間で走り終えてしまった。
現代の力を駆使し(代車デミオ君)でさらに200mくらい先に進んできた。
この奥付近に橋がかかっていたと思うのだが。。。
猫短借さんと注意しながら土手を探索していく。しかし何も見当たらない。。
水門が姿を現した。しかしこの周辺にも橋の痕跡らしきものは何も見当たらなかった。
はやりこの場所ではないのか。
対岸を撮影してみたが・・・何にも見えないなぁ・・・。
土手も綺麗にコンクリート整備されてしまっているので、すべて遺構は取り払ってしまったのだろうか。
振り返って撮影。こちら側の岸もコンクリートでがちがちに固められていたので、遺構はすべて撤去されてしまったのかもしれない。残念だ。
ひとまず軌道跡とは何も関係なさそうな、この水門を撮影し、この場を去ることにした。
20分くらいウロウロしたのだが見つけられず、非常に残念だ。
ひとまず対岸へ向かうためにここを引き返す。
<閑話休題>
気賀口駅から見ることができた橋まで戻ってきた。この橋は清水橋という。
どこかのレポートで「姫街道」の説明としても記載したが、もう一度おさらい。
浜松には新井の関所と気賀の関所があったのだかこの付近に気賀の関所が存在していた。
新井の関所は船を使って渡らなくてはならず、かつ検査が厳しかったため(衣服を脱ぐこともあり)姫様には嫌がられる場所であった。
しかし気賀の関所は陸続きで、かつ検査が緩かったので、姫様たちはみんな気賀の関所を通過していた。
それ以来姫様が使う道を姫街道と言われている。
話しは現代に戻り、今でも姫様道中という催しが毎年開催されていて、気賀の関所で20前後の女性が当時の衣服を来て街中を歩いて春の風物詩になっている。
この橋のデザインもそこから来ているものだ。
話しを探索に戻したい。清水橋を渡り迂回して橋の反対側を目指している。
きっとこの景色のどこかに橋がかかっていたんだろうなぁ。
対岸へやってきた。右奥の方に水門が見える。
この辺に遺構がないか探してみたいと思う。
それにしても綺麗に整備された土手だなぁ。歩くと芝生がふかふかして痛む足には心地よかった。
この土手をウロウロしていたら・・・
何これ?!?!
何これ~~~?!?!
完全に橋台と思われるものを発見した!!
このときは再探索で見つけているのだが、初回探索で見つけていたら疲れが吹っ飛んでいただろう。
しかし再探索で見つけたときも非常にテンションが上がった。
橋がかかっていたことを証明することができる!!
そして角度も知ることができる!!
その角度とはいかほどのものだったのか。気になる気になる。
もう一度土手の上に立ってみた。
左手前の木製バリケードが乗せされているのが二つ上の画像のコンクリート片。
そして奥の2階が白い家の手前角にちょこんと見えているのが一つ上の画像のコンクリート片。
これらの位置や角度をすべて考えると橋は下記のようになっていたことが分かった。
少し話を川の手前に戻して見直したいと思う。
気賀口側の土手を振り返って撮影した画像。
奥から手前に向かって軌道が敷かれて、この付近に橋の始まりが存在していた。
そして、陸を離れ川を黄色いマークのように斜めに渡っていた。
横から見るとこの辺にかかっていた。
正楽寺駅側から振り返って撮影した画像。
奥の気賀口駅からこのように非常に斜めの角度で奥側から手前に橋がかけられていた。
しかし対岸には遺構は見当たらなかった。もしかしたら草に隠れているのかもしれないが、それは分からない。
そしてこの様に橋は終点を迎え、住宅街のある方向へ吸い込まれていく。
地図で見るとこうなる。
左下の丸が気賀口だ。
角度は違うかもしれないが、この位置に斜めに橋がかけられていたことは間違いない。
当時の画像か何かあればさらに信憑性は増すのだが。今後も調査を続けていきたい。
再探索を含め橋のレポートはここまでとしたい。
とにかく位置も角度も地図に表現できて満足だ。後は当時の写真が見たい。猫短借さんよろしく。
==========<追加探索/考察ここまで>==========
住宅に飲み込まれてしまった軌道跡は区画整理によってなくなってしまっていた。
少し先に軌道跡が復活していたのでそこから探索を続ける。
ここからは緩やかな上り坂になって行く。
右に大きく弧を描き、そしてもう一度左に大きく弧を描き進行方向を整えている。
途中この様な花壇のようなものがあった。
探索当時「ここ駅じゃね?!」って猫短借さんと非常に盛り上がっていたのだ。
だから無駄に画像が多い。
この銀の鉄製の掲示板は奥山線に限らずその土地の歴史や特徴を記載しているようだ。
こういうのがあると探索も楽しくなる。
一通り全部読みながら探索を続けているが、10歩あるけば忘れる笑。
静岡県という石杭が頭上に・・・。軌道跡と関係があるのか??
詳しい方教えていただきたい。
そしてあっという間であるが、ここが正楽寺駅跡地だ。
なぜこの画像でそんな簡単にわかるかって?
僕も最初はまったく気付かなく、「この変なんだけどなぁ~」ってずっと正面に続く道と地図を照らし合わせていたのだが右をみたら、
分かりやす笑!!
うんうん、素晴らしい心意気。県や国が遺構を残さなくても、昔からこの地に住む、土地を知り尽くした住民の皆さまが、軌道跡や歴史を大事に大事にしてくれています。
遺構がなくなっていくことは仕方がないことで、でもかなしいことだけど、それを守ろうとする人たちの気持ちが強く根付くことも、それはそれで嬉しく人っていいなと思うところでもある。
今回はひと区間だけのレポートになってしまったが、橋で満足いただけたのではないだろうか。
今回の軌道跡は地図で記載するとこのようになる。
左下が気賀口駅、上が正楽寺駅だ。
この斜めにかかる橋の画像が見たくて見たくて仕方がない。
そもそも橋の名前わからない笑。
次回から細い道をくねくねと奥山まで探索が続いていく。
第11回に続く
遠州鉄道奥山線探索2011 第9回レポート
前回と前々回で谷駅 - 祝田駅のかなり激しい森の区間を探索した。
祝田駅以降の区間を公開したいと思う。
ここから金指駅は軌道跡としても比較的有名で知っている人も多いはずだ。
◆祝田駅 - 金指駅
2011/12/10 12:50
現在浜松に通過している浜松でも比較的大きな国道257号線をトレースしている。
祝田駅を出発すると祝田橋がかけられている。
軌道跡もこの橋を通過している。
ここは当時は電車のみ通っていた。
自動車は現在立っている橋手前の交差点を右に行ったところに橋がかかっていたようだ。
右を見てみると当時からのものと思われる石灯篭がたっていた。
当時からのままなのだろうか、明らかに月日がたち傾いているのが分かる。
橋を渡ると少し右に緩いカーブを描いていく。
細江や気賀に行く方はこの光景はよく印象に残っているとおもう。
マックとベル21が印象的な景色だ。ここを通るといつも浜松市街から少し離れてきたなぁという印象を持つ。
この周辺は田んぼが広く広がっていて綺麗な景色が多く、個人的に好きな場所だ。
祝田駅から500mくらい歩いてきた。大きなカーブはなく北へまっすぐ直進している印象だ。
さらに200mくらい歩いてきた。この部分から左に軌道跡はカーブしていた。
左の田んぼにその軌道跡の名残が鮮明に残っている。もう少し近づいてみる。
おおお!!
この位置から左に曲線を描いているのが分かるだろうか!!
田んぼの稲の植えられた痕跡が完全に軌道跡の曲線に沿って植えられているのが分かる。
この場所を左に金指駅に向けてぐぐぐっと曲がり、西に進路を変える。
田んぼを超えてきたのだが、その先はレストランの道路用の通路になっているようだ。
この門くぐると左に曲線を描いているのが明確に分かる。
しかし、その奥は大きな工場が建設されていた。
少し目を凝らしてみたのだが、軌道跡は建物によってなくなってしまっているようだ。
工場までの軌道跡は確認できたので、ここは侵入せず工場の裏側に回ってみることにした。
裏に回ってみたのだが草がすごくて侵入を断念した。
ここも民家のぎりぎりの位置なのでこれ以上は前に進むのはやめておいた。
当時の軌道の地図を見るがぎりは軌道は黄色の辺りを、左から奥に向かって走っていたと思われる。
ここの草の部分も軌道跡は確認できそうになかった。
ここは断念して草藪の右奥へ行ってみたいとおもう。
民家の間をすり抜け、現役で走っている天竜浜名湖線の線路が現れた。
遠州鉄道奥山線はこの奥の柵の向こう側、黄色い部分を左から右へ通過していたと思われる。
この天竜浜名湖線とは線路は重なることはなかったという。
遠州鉄道奥山線が先に誕生し、線路が敷かれていたのだが、後から誕生した天竜浜名湖線に線路を奪われてしまった。
追いやられてしまった遠州鉄道奥山線だが、この後「その遺構」を見ることができる。
上記のことから、ここからしばらくはこの天竜浜名湖線の横に軌道跡を確認できる。
金指駅までやってきて、「軌道跡を飲み込んだ工場」の方向を振り返って撮影。
黄色の部分を奥から手間にカーブしながら金指駅に走ってきた。
天竜浜名湖線の金指駅の向こう側に遠州鉄道奥山線の金指駅があったらしい。
向こう側といっても「同じ場所」と言った方がいいのかもしれないが。
ちょうど金指駅に天竜浜名湖線の1車両の電車がやってきた。
一車両というのはかなりレアらしく多くの鉄道ファンもこの車両を撮るために遠くからやってくるらしい。
天竜浜名湖線はあの有名な映画スウィングガールズでも使われていて比較的名が知られているらしい。
◆金指駅 - 岡地駅
金指駅から200mほど歩いてきて、金指方向を振り返って撮影。
写真は全然見当外れの位置を移しているが、軌道跡は現在の天浜線の南側、画像で言うと右の線路のさらに右側を並行して走っていたと思われる。
天浜線の南側に回ってきて振り返って撮影。
奥から手前に向かってこの位置を奥山線は通過していた。
同じ場所から進行方向を向いて撮影。軌道跡は目の前の猫短借さんがいる道路ではなく、左の土手のような部分の上を通過していたことも考えられる。
その理由はこの後登場する、遠州鉄道奥山線でも有名な「遺構」があるのだが、この遺構を考慮すると一番それがしっくりくるのだ。
猫短借さんが持っている資料にも画像があったのだが、この土手上の軌道が一番可能性が高い。画像が入手出来次第追加記載したいと思う。
軌道跡は左の土手上を進んでいく。
しばらく天竜浜名湖線沿いの道を歩いて行くのだが・・・、「アレ」が奥に見えてきた。
野球の練習をする高校生の視線を気にせず、猫短借さんが走る笑!!
もう興奮が止められないようだ笑!!がんばれ猫短借、負けるな猫短借!!
でた!!
コンクリート橋!!
この場所に取り壊されることなく鎮座するこのコンクリート橋。
廃線当時はこの橋の上を奥山線は通過していた。
先程も説明したが最初はこんなコンクリート橋なんてなかったのだ。
天浜線(当時の路線名は不明)の工事が始まったときに、最初からいた奥山線を上に(橋で)押し上げ、天浜線が悠々と「地を這うこと」になった。
最初からいた線路が後初の線路に「どかされる」ということは全国的に見ても珍しいらしい。
線路を共有することもなく、このようなコンクリート橋によって新旧が交錯することになった。
地元の方々に大切にされているのか周辺は比較的綺麗に整備されていた。
地元の人も橋の下を歩道として使用しているらしく、踏み跡が刻まれていた。
僕も少しだけ遺構を楽しみたいと思う。
小さなヒビなどはあるが、今でもしっかりとこの場所にどんと構えている。
橋の下が黒くなっているのは、蒸気機関車などの名残だろうか?今は電車になっているので・・・
っていうか天竜浜名湖線電車じゃないの??上に電線がないんだけど・・・。
そこらへんの知識がないのでパスする笑。
明らかに多くの人が日常的に通過した痕跡があったので僕も一瞬だけこの場所に立たせてもらった。
何とも美しい景色だ。
コンクリート橋の懐に一瞬だが入ったことで、この橋の息吹を感じとることができた。
「当時の様子を僕たちに教えてくれないか」そんなことを僕はこの時、心の中で呟いてい・・・ない笑。
電車が来ないかどうかビビりながらだったので身を守ることの方が一生懸命だったのはいうまでもない。
すぐに橋の下からは出て外からのコンクリート橋も楽し見たいと思う。
グレーと黒と青い空のコントラストが美しい。
この付近でウロウロしていたのだが、そしたら何と
電車がきた!!
いきなりだったのだが急いで準備し、その時の動画と写真を撮影することができた。
動画と写真の両方構えで両方うまく撮影できた。満足。
僕以外にもこの光景を写真に収めている鉄道好きの皆さまが写真を撮られていた。
それくらいこの新旧の交錯はたまらないものだ。
ここで改めて曖昧だった金指駅手前の左カーブから、このコンクリート橋の空撮画像を見てみたいと思う。
ちょうど真ん中に金指駅がある(青い部分)。一番左にはコンクリート橋も確認できる。
わかりやすく線を描いてみた。
金指駅に立ったときには確認できなかったのだが、金指駅南側に東西に伸びる不自然な境界線が存在しているが、理由がない限りこのような境界線にはならないはずであるので、きっとこの境界線こそが軌道跡の可能性が非常に高い。
金指駅南側(黄色い丸)から、左のコンクリート橋(左の赤丸)までの間は推測でしかないのだが、きっとこのようjな曲線を描いていたのだと思われる。詳細の地図が入手出来次第再UPしたいと思う。
さて、先に歩みを進めたいと思う。
コンクリート橋を振り返って撮影。
当時はここに土が盛られていたのだろうか。天竜浜名湖線に土が行かないように、右側にだけコンクリートの壁が施工されていた。
ここのコンクリート橋で天浜線を越えて、天浜線の北側に進路を変更する。
進行方向を向いて撮影。
電車は急には曲がれないので、軌道跡はコンクリート橋をわたってから少し天浜線から離れこの左側付近を通過していたと思われる。
コンクリート橋から100m位歩いて行くと空き地が現れた。この黄色い部分を走り、天浜線と並行して線路がひかれていたと思われる。
ここからしばらく天浜線の北側には不自然な空き地が並行して存在していた。
さすがに黄色い部分は草がすごく歩くことができないので現道からの探索とした。
さらに300mくらい進んで、軌道跡付近に立って振り返って撮影。
この北側空き地が名残だと思う。
さらに200m進んで振り返って撮影。ずっと空き地が続いている。
変わり映えしない景色が続く。
同じ場所から進行方向を向いて撮影。
ずっと向こうまで空き地が続いている。
現道から進行方向を撮影。右側に消防署が建設されていてコンクリートの壁が軌道跡を踏んでしまっているがかろうじて軌道跡の空き地が確認できる。
==========<追加探索>==========
12/18 実は初回探索で岡地駅を見つけることが出来なかったので再探索している。
続きはこの再探索を見ていただきたい。
上の画像からさらに200mほど進んできて振り返って撮影。
まだ日が昇ってきて間もない。
この草の部分を軌道跡は通過していた。
進行方向を向いて撮影。岡地駅の名残がこの景色のどこかにあるらしい。
少し細かく確認しつつすすむ。
この石杭は線路のそばに必ず存在しているものだという。この石杭は天浜線のものだろう。
むむむ!!怪しいものが草むらの中に無造作に捨てられていた。一体何なんだろう。
50mくらい進んできたがまだ岡地駅らしい痕跡が見当たらない。
民家の軒先に何かあると聞いたのだが。
現れた、ホーム跡!!
この家の軒先にホーム跡をうかがわせるコンクリートの段差が確認することができる。
これは他の探索者の人の証言でも確証が持てているので間違いないと思う。
ここが岡地駅で間違いなさそうだ。
少し近づいて撮影。当時のままの姿とは言い難いがホームらしき作りのコンクリート造りが確認できる。
初回探索の屈辱を、ここでも再探索で晴らすことができた。満足である。
==========<追加探索ここまで>==========
◆岡地駅 - 気賀口駅
2011/12/10 13:38
岡地駅を振り返って撮影。当時はこの画像しか撮っていなかったので岡地駅の存在は確認できていない。
民家の軒先に名残があるというのは聞いていたのだが、足が痛くてそれは完全に忘れていた笑。
同じ場所から進行方向を向いて撮影。
岡地駅を見落としてしまった理由のもう一つが、この天浜線の「気賀高校前駅」だ。
この駅と岡地駅が同じ位置にあったと思い、探索当時は天浜線の気賀高校駅前と奥山線の岡地駅は同一のものだと思っていた。
奥山線はここから右の道とともに進路を右に曲がって行く。
今となっては奥山線と何も関係のない天浜線の気賀高校前駅だが探索したので紹介だけしておく。
ここの駅も無人駅で作りもいたってシンプルだ。
時刻表やいろんな案内が貼られていた。まるで公民館の掲示板だ笑。
温かみを感じるなかなか落ち着く駅だ。
奥山線に戻って前に歩みを進める。時折太陽が雲に隠れるとかなり寒い。
右側には気賀高校がある。軌道跡はここから気賀口駅まで西にまっすぐ進む。
歩道が異様に広い道に出た。軌道跡はこの歩道だったのだろうか。
そんなことを感じながら色々注意しながら遺構を探しつつ前に進む。
岡地駅から500mくらいあるいてきただろうか。この辺に気賀口駅があったと思うのだが・・・。
しかしバス停しか見つからず痕跡がなかなか見つからない。
奥山線はここから右に進路を曲げていくのだが、右側の住居の方に気をとられていたのもあり、「大事なもの」を見落としていた・・・。
ひとまずこの場所周辺が気賀口駅では間違いない。
==========<追加探索>==========
2011/12/18 上の画像でも「大事なもの」と記載しているがそれを紹介。
初回探索の時の画像にもはっきりとこのハローワークが写されているのだが、完全に見落としていたものがある。
ハローワークの看板の向こう側に何か怪しげに光る鉄製の看板が影を潜めている・・・。
ちーん笑。
初回探索で、なぜこんなに大事なものを見落としてしまったのか笑。
軽便鉄道「気賀口」駅とででんと紹介されている。
ということでこのハローワークが気賀口駅跡地で間違いなさそうである。
==========<追加探索ここまで>==========
それでは今回の探索の部分の軌道跡を地図で確認してみよう。
右下が祝田駅で、次に金指駅、次に岡地駅で、一番左が気賀口駅だ。
この周辺は痕跡が確認しずらく資料と地図と撮影した写真をにらめっこしながらのレポートだ。
若干の誤差はあると思うが、上記の画像のルートでほぼ間違いないと思われる。
今回のレポートはここまで。
次回は北に進路を変えて山奥へと侵入していく。
でだ・・・
上の地図に続きの軌道跡調べてみたんだけど・・・
川の斜め横断まじ?!
第10回につづく
遠州鉄道奥山線探索2011 第8回レポート
前回、谷駅から祝田駅の間の前半の森の区間をレポートした。
今回はその続きから。
強烈な森とブッシュを抜けて現れたのがこの森のトンネル。
正直なところ、この画像の場所を見つけたときが一番テンションが高かったと思う。
こんなにも綺麗な場所が残されていたなんて。
しかし草が道上に何も生えていないのはどういうことだろうか・・・。
この周辺の動画があるのでここにリンクしておく。
http://www.youtube.com/watch?v=vjCHF8Q9VT4
200mくらい歩みを進めてみてもしばらく綺麗な並木道が続いている。
昼は温かいのだがここは寒い。夏に通ったら涼しそうな景色である。
それにしても本当に綺麗な景色だ。ずっと感動しながら写真も撮らずにゆっくりと歩き続けていた。
廃線当時は一体どんな景色が広がっていたのだろう。
右側の道沿いに植えられた木は比較的低いので当時はなかったのではないだろうか。
でもその奥は結構な森なので当時から空は見えず木々に隠れていたのではないだろうか。
ここからはしばらく並木道を楽しんだ。
300mくらい歩いて行くと右側に小さな公園が現れてきた。
この公園。実は「小さく」ない・・・。
その理由は、ここを探索した動画があるので見れる方はご覧いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=hYttRwt-I8Q
ここの軌道跡はなんと
桜ケ丘南散策公園!!
散策公園の看板の部分を振り返って撮影。
そうだよな~これだけ草が生えてなければそうだよな~。。
動画で見てもらっても分かるが、散策公園の看板を見つけたときの声がひきつっている笑!!
軌道跡から見えた公園である。この向こう側に軌道跡があるなんて地元の人以外はなかなか気付かないのでないだろうか。
散策公園の看板の先には『竹で作られた柵』があってその奥は入ることができなかった。
==========<後日追加探索>==========
12/18
再探索で『竹で作られた柵』を突破している。
1週間前よりも再探索の時は紅葉が綺麗になっていた。この場所は散策公園看板のすぐ横だ。
で、さっそく『竹で作られた柵』を突破し、振り返って撮影。奥の紅葉がきれいだ。
この柵を強引に突破したのではなく、少し先に進んだ斜面から強引に上ってきている。
綺麗な軌道跡が続いていた。ここは管理されていないのだが、草は定期的に刈られているようだ。
100mほど進むと正面には竹やぶが形成されている。
この先危険と言わんばかりに横一文字を描いた竹が進路を邪魔をしている。
僕は背が小さいので軽くスルー笑。
なかなかハードだ・・・。たけやぶやけた、そんな感じに切られて下に横たわっている竹が黒く炭のようになっている。
横に束ねられている竹と竹の間に足がずぼぼぼぼってハマってかなり焦った・・・。
ここを少し時間をかけて気をつけながら通過する。
竹藪を抜けると明るみの区間が姿を表した。この明るみ区間の右下が登ってきた斜面だ。
その場所がここだ。画像は初回探索のときのもの。
綺麗な盛り土の軌道線が少し高い位置に見て取れる。
斜面の下は住宅になっているのだが、ちょうど民家の主人がいたので斜面を登る許可をいただいている。
快く承諾いただきありがとうございました。
ご主人はとても不思議そうな顔をしていた笑。
この軌道を今左から右へ歩んでいる。
さらに奥(右)へと進む。
なかなか嫌な雰囲気だ・・・。前半の森の区間を思い出す。
もう慣れっこなのでサクサク進んでみる。
ああああぁぁぁ・・・・。悲しい感じ・・・・。
少し頑張ってみるが、先は通ることができないブッシュであることは、1週間前の探索で確認済みなのであまり無理はしない。
結構荒れてきてしまった・・・。でももう少し行ってみる。結構慣れてきた、自分笑。
すでにジャングル笑!!
ちょっと楽しい。まだまだもう少し向こうまでいけそうだ。
まだ行けそうな雰囲気ではあったが猫短借さんも斜面の下で待っていることだし、ここで引き返すことにした。
ここまでの区間は確実に軌道跡であったことが確認できた。
このブッシュの向こう側の探索は最初の探索の続きをご覧ください。
==========<後日追加探索ここまで>==========
激しいブッシュが少し高い位置に軌確認できるが、それが道跡だと思われる。
軌道跡の正面に行ってみる。
はっきりと軌道跡の痕跡が確認できる。さすがにブッシュが激しいのでここから逆走はやめておいた。
ブッシュのすぐ横にはトンネルがあった。多くの車が通過する257号線を日々支えている。
このトンネルの右(軌道の進行方向)には歩行者用の階段があった。
階段の途中から軌道跡を振り返って撮影。
軌道跡はトンネル左のブッシュからこの位置付近を通過していたと思われる。
ここにも軌道跡らしい形状をしていた。若干のずれはあるだろうが大きく外れていはいないと思われる。
階段を登りきると交通量が非常に多い国道257号線にでる。
先程まで軌道跡を見上げていたのだが、階段によって軌道跡を見下ろす位置まで上がってきた。
軌道跡はこの付近で257号線に付け替えられてしまっていると思われる。
この先の257号線は軌道跡らしい曲線を緩やかに描いて北上していく。
久しぶりに軌道跡と現道が重なった。少し寂しいが、だいぶ気が楽になった。
急な下り坂を少し早足で進んでいく。『森』区間にだいぶ時間を食ってしまった。
すでに時刻は12:50頃。あんまりお腹が減っていないので二人ともそのまま探索を続行する。
坂を下りきると広い場所に出てきた。久しぶりの住宅街である。祝田駅までもう少しだ。
257号線と軌道跡が合流して700mくらい歩いた付近に「祝田」というバス停があった。
祝田駅もこの場所であったと思われる。
都田駅 - 谷駅 - 祝田駅はかなり時間がかかってしまった。
まぁそれだけすごい楽しかったわけだが。
祝田駅から見た景色。ミカン畑が目の前に広がっている。
ふぅ。疲れた。半分は終わっているはずなのだが。
そういえば・・・足、特に足首がすごい痛い・・・。竹藪の時に足かなり突っ込んだから捻挫したかなぁ~。
都田口から祝田駅までの軌道跡は地図で表すと下記のようになる。
小さいので拡大して見ていただけたらと思う。
右から都田口駅、谷駅、祝田駅。
都田口駅から谷駅は軌道跡は歩くことができない場所が多かったが、ほぼ目視で軌道跡を確認できている。
問題視されていた谷駅から祝田駅の区間も森に吸収されていたり、激しいブッシュや竹藪に飲み込まれていたものの、国道257号線の合流地点以外はすべて歩いて確認することができている。
国道257号線の合流地点が確実に「そこが軌道跡」とは言い切れないが、地形や電車の軌道ということを踏まえると、予想している部分が軌道跡である可能性が非常に高い。
激しい森とブッシュと格闘した激熱区間を無事に突破。
この先は金指駅へとつながっていくが、その先は完全に未知である。
第9回につづく
遠州鉄道奥山線探索2011 第7回レポート
前回、完全に軌道跡が確認できなくなってしまった都田口から谷駅の区間。
そして林の中へ吸い込まれていく軌道跡。
この先は一体どうなっているのか。
◆谷駅 - 祝田駅
12/11 11:40
林の中へ吸い込まれていく軌道跡。ここからは完全に管理はされていないようだ。
またここから見る限りは奥へ行くことができそうだ。
地形の形状は山を掘った形状の割堀にて進路を進めている。
割堀は浅いが完全に目の前に進路が続いている。林が邪魔をしてなかなか前に進めない。
猫短借さんはいまだに下の現道を歩いている。まだ声をかければ聞こえてくる。
この凹んでいる部分を線路が通っていたなんて考えにくい。右側の土手の部分に立てば猫男爵さんを遥か下に見下ろせる。
僕はここまま森の中を進んでいく。
こんな太い木まで育ってしまっていて・・・管理されないとこんなにも雑木林が伸びてしまうのか。自然の力恐るべし。
これやばくね・・・。
完全に軌道跡が確認できないほど生い茂っている。
ひとまずこのまま行けるところまで進んでみる。
完全に森に飲み込まれている・・・。
軌道跡は真ん中に綺麗に弧を描いているのが確認できた。画像からはなかなか確認しずらいが、僕は軌道跡の真ん中に立っている。
割堀の形状が水をためていたのか、この目の前の落ち葉が敷かれている部分が沼のようになっていて靴が泥まみれになってしまった・・・。
沼に足を取られないように軌道跡の横を高巻きしつつ前に進んでいく。手や顔に木の枝が当たるたび痛い。
左側がすこし池のようになっていたが、それは劣りで目の前の落ち葉の部分も沼のようになっていた。
正直いって平らになっているようにみえる部分(軌道跡)を歩きたいがなかなかそうもいかない。
森に包まれた軌道跡を進み始めて10分50m位しか進んでいない。
左側に石垣が現れてここが軌道跡だったことを物語っている。
足元のぬかるみに注意しながら進む。
個人的に厄介だと思っていたのがこの笹みたいなブッシュだ。体に絡まるのでなかなか前に進めないのだ。まだ量が少ないのでうまく回避しながら進む。
ブッシュだらけだ・・・。まぁこれくらいならどうってことない。
振り返って撮影。緩やかに弧を描いているのが見て取れる。
僕もだいぶ森に分け入ってきたんだなぁ。
ブッシュが少し減り見通しが良くなった。下に倒れている木をうまくよけながら前に進んでいく。
少し進むとまたすぐこれだ・・・。画像からは軌道跡がどうなっているかは分からない。
僕は今軌道跡の真ん中に立っていて、軌道跡は正面に続いている。
途中木に手をかけたのだがとげとげの木があり、手のひらにとげが刺さってかなり痛くてテンションが下がった。
足元に細江町という標識の目印を見つけた。これがあるということは・・・ここは道として使われていたのかもしれない。
実際地図にはこの軌道跡は地図として載っているのだ。あり得ない笑。
しかしこれが「現存する道」として今も存在しているのだから誰かが通るのかもしれない。本当に通るのか??
徐々に道は険しさを増し目の前は視界がなかなか開けない。
奥の緑の濃い部分に嫌な雰囲気を感じ取った。
これ・・・まじで・・・??
完全にブッシュに包まれていてしばらく呆然・・・。
もう少し奥まで進んでみたのだがちょっとこれは・・・体にブッシュが絡まってしまって簡単には行けそうになかった。
軌道跡はここで間違いないのだが、この後ちゃんと軌道跡をたどれるのか、この先がどうなっているのか、少し足を踏み外したら下に落ちるのではないだろうか、そんな不安が一気に僕を襲いかかった。
申し訳ないのだがここで撤退をすることにした・・・。
無念・・・。
念のためアイフォンのGPS機能で現在地を確認しておいた。便利だ。
この画面の右の発電所の方から左に向かって歩いてきた。現在立っている場所が青い丸い部分だ。
画像を拡大してもらえば分かるのだが、しっかりと「道」として地図には描かれている。ひとまず僕はこれ以上進むことができない「正式な道」を引き返すことにした。
ここから今来た道を引き返すのも一苦労だ。。。
引き返すときに動画を撮っていたどんな道を歩いていたのが気になる方はぜひご覧いただきたい。
15分後、現道に復帰。猫さん、お待たせして申し訳ない。
この左の川をまたいだ向こう側を僕は時間をかけて歩いていた。まさかここからはこの森の部分を電車が走ってたなんて想像できないだろう。
僕が森を探索しているときに12時のチャイムが鳴り響いていた。太陽は徐々に高度を低くし、沈みつつある。しかし、時刻はまだ12:15頃。夕刻までに探索が終わるのかそんなに心配はしてなかった。
この画像の目の前の森を僕は横断していた。
現道を歩いていると、軌道跡に復帰できそうな橋が現れた。なんだこの橋は・・・。
森の探索をしているときにも猫さんから変な橋があると電話をもらっていた。
廃道へ行くための橋か??そんなはずない。怪しい。
ひとまず便利なものにあやかって対岸の軌道近くへ行くことにする。
橋を渡って右折するとそこには・・・
軌道跡・・・??猫短借さんは森の探索をしていないので軌道跡と思ったらしいが、僕はそうは思わなかった。
それは高さが明らかに違っているからだ。橋を渡ったすぐの場所に軌道跡はあり得ないと思った。
そして僕は軌道跡が眠っていると思われる左の山の上を仰ぎみた。
ん??黄色い線の部分に明らかなラインが見えるではないか。
画像では分かりにくいが、しかもその奥には塀のようなものがある。
とりあえずあそこまでざくざくと登ってみることにした。
おおおおお!!!
何ということだ!!森の中にこんなにも綺麗な場所が眠っていたなんて!!
となりのトトロにも出てきそうな綺麗な道がずっと向こうまで続いていた。
振り返って撮影したのがこれ。
僕が断念した方向を向いて撮影したのがこなのだが、しばらくは道が続いていそうであった。
ひとまず猫短借さんを「これは見た方がいい」と山の上まで呼び出した。
断念した方へひとまず向かってみることにした。
その時の動画がこれ。
http://youtu.be/q5DYYaL9A4Y
そして行けるところまで歩いたのだが、断念した通ようにブッシュに包まれていた。
この時僕はブッシュにすごい抵抗があり行くのを拒んだ。
森の探索で見た景色はブッシュ、こちらからみた景色もブッシュ。その【違う位置から見たブッシュ】は同じものではないのかと思っていた。
しかい時間もあまりないということも重なりここを逆走するのを断念した。
ここの断念は正直かなり後悔していた。
念のためここの位置をGPSで確認もしておいた。
さっきのと見比べても、すぐそこ。住宅街のひと区間程度だ。
ひとまず怪我はしたくないし足も疲れていたので再探索時にもう一度来てみることにしよう。
==========<追加補足>==========
12/18
一週間後、僕は再探索でこの地に立った。あの断念したブッシュを踏破するために。
で、早速なのだが探索を開始。
猫短借さん撮影。僕がブッシュに挑んでいる画(笑)。ここから見ると信じられない光景だな笑。
では僕の探索結果を以下に記載していこう。
森探索で断念した場所までやってきた。実際の所、正面から僕はブッシュをかき分けて手前にやってきたので、ここに立っているときはすでにブッシュ越えは達成している。正直しんどかった笑。
それでは今回はここに突っ込んでいこう。
奥の方までブッシュは続いていて、向こう側がどうなっているかわからない場合はここは突破していないだろう。
思っていたよりもブッシュは前に進めるということが分かって安心した。
しかし無理に進んでいくとブッシュが足や体に絡まってくるので慎重さを欠いてはならないだろう。
僕はこのブッシュの下の方を分け入って行った。軌道跡は目視では確認できないが、両側が下に落ち込んでいることから、この部分は盛土になっていたのが分かった。
以前は両側に開けた景色が広がっていたに違いない。
もう、わけわかめだ笑。このブッシュに入ってから2分くらいなかなか景色が開けてこない。
一度この道を通過しているとは言え、行きも帰りも要する時間はあまり変わらなかった。
徐々に先が見えるようになってきた。木々の影になりにくい盛り土部分はブッシュが育ちやすいのだろう。
これはこれで楽しい笑。
完全に景色が開けた。跡は猫短借さんが待つ場所までは簡単に行けてしまう。
振り返って撮影。
もう行かない笑。「お前なんかにもう用はねぇ」と捨て台詞を心の中で言った後、猫短借さんの待つ場所へ戻った。
念のためブッシュを超える動画を撮影したので気になる方はご覧いただきたい。
==========<追加補足ここまで>==========
ブッシュから進行方向を見た画像がこれ。
これ、「ブッシュ突破していたら相当感動したんだろうなー」と思いつつ進路を進める。
今回はここまで。
次回この森のトンネルを楽しみ、祝田駅まで到達する。
第8回につづく
遠州鉄道奥山線探索2011 第6回レポート
前回都田口駅までやってきた。その先から左に大きくカーブしていくのだが、ここから2駅の区間が個人的にかなり熱い区間になった。
まずは都田口駅から谷駅までの区間だ。
◆都田口駅 - 谷駅
これは前回の都田口の画像だ。軌道は画像の黄色い部分を通過していたと思われる。
その理由はその先に左へカーブする道が左の家の向こう側につながっているからだ。
家の裏には空き地があった。その奥に緩やかに左にカーブする道が残っている。
空き地の向こう側に回ってみたいとおもう。
空き地の向こう側はこのような景色が広がっていた。軌道跡らしいゆるやかな左のカーブが続いている。
200m位進んできたのだが・・・道なくない?
突き当たった。猫短借さんが棒立ち。
しかし右側に奥に続く道があるのが分かると思う。右に5mずれた画像がこれだ。
綺麗な曲線を描いている。
振り返って撮影してみた。
先程とおってきた曲線が最後の方で左に角度がきつくなっていたので、きっとこの画像のような軌道跡を描いていたのだと思われる。
余談だが、さっき猫短借さんが棒立ちだったが、「道がない・・・」と絶望しているのではなくて、「魚の骨だ・・・じゅる」的な感じだったんだと思う。それがこれ。
お魚くわえた野良猫、猫短借笑。猫さんもこういうものに目を奪われる特性があるようだ笑。
100m位進んできたのだが、月日が経っていて道がくねくねしている。
しかし軌道跡はここであることは間違いなさそうだ・・・。
さらに進むと・・・。
え・・・。
プレハブの民家に突き当たってしまった・・・。
猫短借さんと二人して絶望したのはいうまでもない。
左に空き地があったのでここから向こう側にまわりこめるだろうか確認。
えーーー・・・くつ下にいろいろくっついてきそうで嫌だった。
ざくざくざくざく。
プレハブの民家の裏にどこかの会社の倉庫があった。
プレハブの民家とこの倉庫の下が軌道跡だったのだのだろうか。
さすがにここは侵入できないので一度戻って会社の倉庫の向こう側へ回り込んでみたいと思う。
倉庫の向こう側で振り返って撮影。さっきまで左の石垣の上にいた。
曲線的にはここが軌道跡っぽいのだが。
とりあえずこの先の進行方向を撮影したのがこれ。
プレハブ民家と倉庫の下を軌道が通っていたことになると黄色い部分を通っていたことになるが、オレンジの部分は5m以上の段差になっていて、下にはビニールハウスの畑が広がっていた。軌道跡の痕跡はまったくなかった。
上の画像の右に錆た橋柵があるのは分かるだろうか。
その橋の上に立って振り返って撮影した画像(プレハブ小屋と倉庫の北側)がこれ。
あんなところに怪しい柵が!!その下には階段が続いていた。
でも完全に草に囲まれていてあそこまで行くことは厳しそうだ。
右上にある建物がプレハブの民家なのだが、もしかしたらプレハブ民家の右側からこの柵がある部分を下に下っていたのではないだろうか。
==========<考察>==========
これは都田口駅紹介の最後に掲載したグーグルマップの画像だ。見にくい方は拡大してみてもらいたい。
途中で道が切れている部分が今軌道が見つけられなくて困っていた場所だ。
探索終了後、ヤフー地図の航空写真を見ていたのだが、その画像はこれ。
分かりやすくラインを記載したのがこれだ。
赤いルートは探索の時にここだと思っていたルート(右の丸は都田口駅)だが、途中で5mの段差に遮られてしまった(×の部分)。
しかし本来の軌道跡は途中から水色のラインで急こう配で下り、道路の橋になっている下の部分を割堀で通過していたのだと思われる。
これらをまとめてみたのが下記だ。
先程行き止まりになってしまった画像だが、軌道跡はこのプレハブ小屋の右側を下って行った。
怪しげな柵と階段の画像のこの部分を向こうから下側に下ってきたと思われる。
下記のURLに水色のラインの急こう配を下っていると思われる当時の列車の画像があった。
http://6.fan-site.net/~haasan55/images/EntetuOkuyamasen/kiha1801Miyatani1ms.jpg
(リンク先「遠州鉄道奥山線」様より:http://6.fan-site.net/~haasan55/EntetsuOkuyama.htm)
地形が一致しているので間違いないと思われる。
==========<考察>==========
探索当時も僕はこの急こう配を下っていたと思っていたので「そういうつもり」で写真を撮影していた。
しかし、さすがにあの草むらには入る勇気がなかったので現道の綺麗な道から探索した。
急こう配を下って、現道の橋の下をくぐり、このビーニールハウスの脇を軌道跡は通過していた。
この部分と思われる当時の画像も先程のHPに掲載があった。
http://6.fan-site.net/~haasan55/images/EntetuOkuyamasen/kiha1801Miyatani2Cm.jpg
(リンク先「遠州鉄道奥山線」様より:http://6.fan-site.net/~haasan55/EntetsuOkuyama.htm)
探索の後にこういう画像を見るとより興奮するものだ笑。
少し進んで振り返って撮影。ビニールハウスも使われている様子はなく草だらけだ。
このビニールハウスの影になっている部分を軌道は通過していた。
軌道跡には車の轍(わだち)が残っていたので、確認がしやすかった。
徐々に徐々に現道と軌道跡の高低差がなくなってきた。
ついに現道と軌道跡が合流する。
ここからは現道をトレースすればよさそうだ。
ところどころ緩やかに右左にカーブしつつ下り勾配が続いていく。自転車で走行したら一度も漕がずに気持ちよく下って行けそうだ。
さらに進んでいくと・・・
んんん?!?!
おおおおお!!!
これは確実に電車が通過していた盛土!!
当時の形のまま綺麗に残っていた。
ここより手前は少し堀崩されてしまっているがこの出会いにはかなりテンションが上がった。
見つけたのだから乗らないわけには行かない。
早速上ってみた。
土手の上はきれいに草刈がされていてきれいに整備されているようだ。
近くに発電所があるのでその管理だろうか。
少し進むと鉄橋の骨組みが残っていた!!
これも奥山線の名残としては有名らしく、この鉄道の探索ではかならずといっていいほど皆が訪れる。
猫短借さんは高所恐怖症でこの土手の上も怖いらしく、すぐに下に下りてしまった。えええ・・・・ここの高さも怖いの・・・。
橋があるならわたらないわけには行かない。
ということで橋にさらに近づいてみる。
ええ・・・こ、こわい・・・。
橋はいたって頑丈そうだが、本当に大丈夫なのだろうか・・・。
途中には草が鉄の部分を隠していてよりこわい・・・、すべりそうだし・・・。
1分ほどこのあたりで怖い怖い言っていた。
走り幅跳びの僕の記録は3m50なのでジャンプで軽く超えられると思ったが、それではわたったことにならないのではないか・・・。
そんな葛藤を繰り返していたのだが・・・
結局やめた笑。臆病者という人も絶対にいると思うが、今回の探索は踏破(この足でそ軌道をすべて歩く)ではなくて、奥山線がどのような場所を通過していたかを確認することが優先だ。
怪我をしていては意味がないので、安全に下からの探索をすることにした。
橋を下から覗き込むように撮影したのが上の画像だ。
正直下は5mくらい下にどぶが流れているので落ちたら怪我は確実だと思う。
しかも、一眼レフを持っていたのでさすがに水に落としたくない。
名残惜しく鉄橋を後にする。
ここからはずっと土手の上を軌道跡が通過していた。
橋よりこちら側は崩落防止用の壁が作られていて、こちら側から上ることはできなかった。
しばらくこの壁につたいながら上れる場所を探していく。
しかしその壁は高くなかなか上る場所が現れない。
強引に上ろうとしたが壁は垂直に近く上ることは無理であった。
怪我をしないためにここは軌道跡を見上げながらの探索。
途中石垣を確認することができた。
あの石垣は当時のものであろう。近くで触りたい。
軌道跡の下の道を歩いているわけであるが、その右側には発電所があった。
こういう電線がたくさんある光景を目にすると妙にテンションがあがる笑。僕だけ??
壁をつたい始めて300mくらい歩いてきただろうか。相変わらず僕と軌道跡の高さの距離は縮まることはなく平行線だ。
軌道跡には立派な鉄塔が建っていた。
人々の生活を支えた鉄道は廃鉄になってしまい、そして新たに人々の生活に光を与えるこの鉄塔が、新しい「道筋」をともしている。ここでも新旧の交錯を感じることができた。
この写真の奥で壁が少し下に下がっているようだ。
おおお!!なんと土手の側面には簡易的だが階段が作られていた。
きっと発電所の管理用の階段だろう。
特に立ち入り禁止って記載がないので軌道に復活してみる。
軌道に復帰して振り返って撮影。
軌道上には草が生い茂っている。
せっかくなので鉄塔があった付近が谷駅周辺だと思うので少しだけ戻って見たいと思う。
ずっとこのような景色が続いていた。きっと僕が断念した鉄橋からここまでこのような景色が路線上にはあったのだと思われる。
さらに奥に進んでみる。
先ほど撮影した鉄塔の下まで来て進行方向を向いて撮影したのがこの画像だ。
ここの部分は異様に場所が広くなっていたのでこの辺が谷駅の名残ではないだろうか。
現在は鉄塔が複雑な斜面を使って建設されている。
猫短借さんは高いところが苦手なのでここまで来るのは断念していた。
先ほどの簡易的な階段の下で待っているのでこの辺にして戻ろうと思う。
目視では軌道跡は確認できているのでこれ以上はやめておいた。
階段の下では猫短借さんが待っていた。
しかしここからの軌道跡の景色が非常にきれいだったので「もう少し上を歩いて行きたい」と猫短借さんに許可を得て、僕は上での探索を続けた。
それにしてもこの景色は非常に美しいと思う。
当時の景色とは全然変わってしまっていると思うが、この紅葉の景色は足の疲れを忘れさせてくれた。
あ、そういえば足・・・痛いな・・・。
以前はこの木はもっと小さく、列車にやさしい木陰を写しだしていたのではないだろうか。
僕もこの緩やかな曲線を楽しみながらゆっくりを木のトンネルを通り抜けていく。
谷駅からも続きを勢いで記載してしまっているが次の画像で第5回は終了とする。
次の画像を最後にした理由は・・・
軌道跡の先が・・・
どうなってんだ、あれ?!?!
完全に軌道跡が森に吸い込まれている・・・。
次回、奥山線探索、最大の難所に迫る!!
第7回へつづく
遠州鉄道奥山線探索2011 第5回レポート
前回のレポートはこちら
住宅街をひたすら北に進んできている。
この直線は探索前からまっすぐで正直気持ち的にきついと思っていたのだが案の定そういう雰囲気満点だ。
身も心も疲れてきている、半分も終わってないのに。
◆曳馬野駅 - 三方原駅
曳馬野駅からはまた一直線の変わり映えしない住宅街が続く。
この辺りから足の疲労感を感じるようになってきた。
途中の酒屋の看板。なかなか斬新だ。
これ動いてないよね?ボタンを押してみたがダメだった。
途中は特に撮影することもなくこんなものばかり撮影していた笑。
曳馬野駅から北に歩いて600mくらいだろうか。
唐突に本屋の前に設置された三方原駅跡の杭看板を発見。
ここ最近に比較的綺麗な物に置き換えられているらしく綺麗だった。
浜松市でも比較的大きな道路「浜松環状線」が三方原駅の北側で奥山線跡とクロスしている。
目の前に見える信号がその交差点だ。
◆三方原駅 - 豊岡駅
三方原消駅の北側の環状線を超えても、住宅街が両側に構えた景色が続く。
しかし交差点を越えてからは歩道も含めて少し道幅がゆったりした印象だ。
他の方の説によると、昔は路線と道路が並行して通っていたらしく、廃線後、線路が道路に転用され道が拡張されたらしく、道が広くなっているという。
北へ500m位進むと右側に田んぼや木の生えた空き地が目立ってくる。
このような景色が都田駅まで2キロくらい続いている。
ひとまず僕らが目指しているのは豊岡駅だ。
12月11日は12月にしては非常に温かく上着を3枚しかあおってなかったが昼間は汗ばむくらいだった。
朝と夕方は極寒笑。
こんな秋の終りの景色を楽しみながら探索は続く。
この付近から豊岡駅があるらしい。奥にバス停が見える。あの付近だろうか。
豊岡駅だが残念ながら杭看板を含めて何も見つけることができなかった。
場所的にはここ近辺に豊岡駅があったことは間違いない。
きっとこのバス停が何かしら過去の歴史を現代につなげているのだと思われるが、駅ではなく地名から付けられたバス停かもしれない。
==========<追加補足>==========
豊岡駅だがまったく痕跡を見つけることが出来なかったのが悔しく、12/18に再探索をしている。
しかし決定的なものは見つけることができなかったのだが、上の画像の交差点を左に曲がってすぐの所に、当時からのものと思われるものがあった。
車の中からの撮影で申し訳いないのだがこの石台も何かしら当時の事を知っていそうだ。
知人によると駅まで続く道を照らしていた街灯ではないだろうかということだ。
もしかすると当時はこの灯の元で人々がにぎわいながら電車を待っていたのかもしれない。
==========<追加補足ここまで>==========
◆豊岡駅 - 都田口駅
豊岡駅を過ぎると住宅もまばらになってきて畑が広がってきている。
僕らの体も徐々に悲鳴を上げ始めていた。目の前のミニストップで10分ほど休憩した。
さすがにずっとまっすぐなので、口には出さなかったが「どこまで続くの・・・」とひたすら思っていた。
三方原は台地になっていて、その台地にある土は「赤土」と言われていて、非常に赤い。
どういう成分が含まれているのかは詳しくは分からないのだが栄養分が豊富に含まれているらしく、三方原では農業が非常に盛んである。
僕の友人もこの三方原で農業を営んでいる。
浜松駅を出発してもう4時間半くらい立っているが、まだ半分も行っていない。
しかし広沢駅から北へ方向転換してからずっと一直線だったこの景色も、都田口までだ。
その先は左へぐぐぐっとカーブする。
「まっすぐはもういい、はやくカーブを楽しみたい」というはやる気持ちを抑えつつ、都田口を探す。
久しぶりに振り返って撮影。
逆光がまぶしい。北から探索してきていたら顔が真っ黒に焼けていたに違いない。
それにしてもここを歩いてきたんだから・・・もう絶対戻りたくない。
さらに300m進むと都田口というバス停が現れる。
「都田口町」などという地名はないから、これは確実に都田口駅の名残だと思われる。
駅の場所は実際はここではなく、もう少し北側にある交差点だったらしい。
交差点の名前も都田口だ。都田口駅はこの辺にあったということだ。
ふと左をみると・・・
あ、あやしい・・・。
下のコンクリートは別としても、この木の意味不明な杭は当時の駅の何かしらの名残ではないだろうか。
断言はできないが廃線してからの月日を考えると、この劣化はちょうどいい具合に調理されているんじゃなないだろうか。
第5回はここまで。
曳馬野駅から都田口駅までの道のりはこちら。
ほんとに一直線だ。僕の画像のペイントが失敗していて少し曲がっているように見えるが笑、直線の軌道跡もここまでだ。
この先は左に曲がり右に曲がりを繰り返して奥山まで続いていく。
で、都田口駅からこの先なのだが・・・
都田口は画像の右下なのだが、よく見てもらえば左に曲がって行くのが見えると思う。
しかし・・・
途中切れてる・・・
この都田口駅から谷駅、そして谷駅から祝田駅までの間が、一番過酷で一番イキイキしていたと思う。
第6回につづく
遠州鉄道奥山線探索2011 第4回レポート
第3回では綺麗に電車通りとして舗装された区間が続いた。
その区間も終わりを向かえ・・・。
◆住吉駅 - 銭取駅
住吉駅からも舗装された道が続く。
例のごとく銭取駅までの距離を示すプレートが現れた。
しかし目線を先へやってみると・・・
ああ・・・舗装区間はここで終了していた・・・。
ここまで2キロくらい車に邪魔されることなく優雅に探索を続けてきたが、歩道専用道はここでおしまいとなった。
ここからは車の往来もあるので気をつけながらの探索となった。
手がかりがあればいいのだが・・・。
名残駅のように痕跡がないとなると少し寂しい。
交差点を過ぎると少し左へカーブを描いていく。
複雑な交差点付近に銭取駅があったと予想していたので、ここで5分位痕跡がないか確認をしみた。
しかし、痕跡はみつからず。
何かを知っていそうな民家だけがそこに鎮座していた。
「教えてくれよー」
調査後資料ではあるが、銭取駅の昔の画像はこちら。
北側から南を向いて撮影した写真だと思うが
カーブ付近にホームがあったことが伺える。
ということは車輪の柵の手前あたりに駅があったと思われる。
また後日再調査の際に再訪してみたい。
ひとまず名残惜しくも先へ進むことにした。
さりげなく進んでいき写真を撮っていたのだが、この写真を撮った後に猫短借さんが駅の痕跡を左の民家の小さいに庭部分に発見!!
あら、そこにおいでなさったんですね。
小さな庭に銭取駅跡の杭看板が庭の一つのオブジェのようにたたずんでいた。
先ほどの落胆はふっとび、そして疲れもこの瞬間だけは吹っ飛ぶ。
ひとまず一安心。
◆銭取駅 - 幸町駅
銭取駅を過ぎると二車線化されている。車の往来も多くなってきて写真も数が少ない。
何よりも正直ここからは完全に車道化されてしまっていてそんなに代わり映えしなくて楽しくなかった笑。
ひたすら距離を稼ぐ。足も少しずつ疲れがたまってきていた。
右へ少しカーブ。解説もこれくらいしかできない笑。
道の先にある止まれの標識付近が幸町駅とのことなのだが本当にあるのだろうか。
そんな心配は的中し、交差点付近では何も見つけられることができなかった。
ちょうど近くにコンビニがあったので小腹がすいたので食料を調達していた。
そして、それで満足してしまい、交差点よりも先の幸町駅の探索をしっかりしていなかった。
帰ってから調べてみると、この交差点の先にある「タクシー会社の営業所」が幸町駅後だったことが判明。
==========<追加補足>==========
ということで日を改め12月18日に再探索している。
交差点から撮影した画像がこちらになるのだが、確かにタクシー会社の営業所があった。
痕跡を5分くらい掛けてうろうろする。
しかし駅の痕跡は綺麗さっぱりなくなっていて見つけることができなかった。
しかしここが幸町駅跡地に間違いないと思われる。
タクシー営業所の中には待機中のタクシー運転手がいることもありあまり長時間の探索はやめておいた。
残念。タクシーのうんちゃんに聞いておくべきだったか。
==========<追加補足ここまで>==========
◆幸町駅 - 小豆餅駅
幸町駅を見つけられないまま少しうなだれつつ歩みを先に進める。
足の裏痛いなぁ。
幸町駅を出発するとすぐに猫短借さんが好きな大久保茶屋の裏口が現れた。
ここのそばはかなりうまい。浜松でも結構有名店でいつも人でにぎわっている。
線路跡はまっすぐ進路を変えていない。
こんな景色が200m以上続いている。
こんな単調な道を猫短借さんと無駄話をしながら順調に前進。
10時間もの間、話のネタは尽きることなく楽しい探索であった。
しかし、後半の会話は「寒い」「足痛い」「きつい」の内容が8割を占めていたのは間違いない。
思い出しただけでも気持ち悪くなる。
出発してから初めて名前がある橋にであった。もっと前からきっと小さいのはあったのだろうが確認していない。
橋の名は「かみだんずばし」。なんだか方言のようだ。がびだんずばじぃ~。
橋から眺めた景色。
気付いたらこの景色を見て、一息ついていた。
ふぅ。
少し気分が楽になって前進。桜並木沿いの道を歩いていく。
春には綺麗に桜が咲くのであろう。
桜の成長の速度がどれくらいなのかわからないので当時からこの桜が立っているのかはわからないのだが、当時からのものであればこの桜たちも当時列車の乗客をにぎわせていたのだろう。
ここからしばらく桜並木が続く。
にぎやかな空気に包まれた線路跡と桜並木の暖かさをさえぎるように、浜松西インターから伸びる取り付け道路によって分断されてしまっている。
しかし、その向こうには以前繋がっていたことを証明するかのように桜並木が続いている。
新旧の交錯。こういう景色は嫌いではない。
その片側2斜線の道を越えると小豆餅駅跡の杭看板が姿を現した。
予想していたあたりの位置にそれは存在していて一安心。
このカーブ手前に駅が存在したいたのだろう。
春には桜が咲き乱れて、奥山線を通しても鮮やかな駅だったのだろう。
小豆餅駅の杭は非常に綺麗でここ2,3年のうちに交換されたのではないだろうか。
◆小豆餅駅 - 追分駅
小豆餅から先は車のとおりもさほど多くなく、無駄に広い印象の道が続いている。
緩やかに右カーブを描いている。
このあたりでは右に左に緩やかではあるが蛇行しながら線路が続いていたようだ。
似たような写真ばかりなので掲載ははしょる。
左右の蛇行が過ぎてから直線に切り替わるのだが、このあたりに追分駅があるらしいのだが。
もう少し先まで進んでみたいと思う。
上の画像からこの画像の区間を2往復したのだが痕跡は全く見つけることができなかった。
この交差点の付近が一番有力なのだが痕跡は何も確認できなかった。
徐々に確認できない駅の数が増えてきてしまった。後先心配。
◆追分駅 - 曳馬野駅
追分駅の交差点を渡ると正面には割り堀を使って東名高速道路が足元を通過している。
高速道路によって少し軌道跡は寸断されてしまっているが、黄色い部分を線路は通過していた。
実は東名高速道路を歩いてわたるのは人生初だったりもする。
路面は遥か下なのだが勢いよく通り過ぎるトラックやバスが恐い。
このときは空いているが週末にもなると車に埋め尽くされる。
夜になると赤と白の光をまとった東名高速が幻想的な景色を生み出してくれる。
カメラでシャッター速度を長くすれば綺麗な写真が撮れそうだ。
東名高速道路の向こう側にやってきた。軌道跡は空き地になって残されていた。
今では車の駐車場になっている。
砂利道の先には古い木が立っていた。
当時からのものだろうか。いい雰囲気だ。
ここで先程東名によって横に振られた道と再度合流する。
ここに黄色いガードがいくつか置いてあるがどうりいう理由だろうか。
アクション映画のように突っ込んでくる車がいるからであろうか。
上の画像の右に古い車がたくさん並んでいた。見る人が見たら楽しい光景なのだろう。
東名を通過してから300m位北に歩いてきた。なかなか曳馬の駅が見つからず、この辺をくまなく探していた。
きっとこの変だろうと思って撮影した画像がこれだ。
これはかなりおしかった。
少し進むと右側の遠鉄ストアーの前に「それ」があった。
曳馬野駅跡発見!!
遠鉄ストアー付近というのは聞いていたのだがすっかり忘れていた。
見つかってよかった。
その横には奥山線 曳馬野駅の由来が記載された看板が設置されていた。
これはなかなか嬉しい。
正直舗装された道が終わってからここまで景色が変わり映えしなかったのでテンションが低かったのだが、この発見は非常にテンションがあがった。
猫短借さんが見つけたのだが、相当テンションがあがって「あれ!!」と、通行する車を気にせず嬉しそうにしていたのが印象的だった。
ナイスキャラクター猫短借さん。
ひとまず住吉駅から曳馬野駅までの道のりを。
すこし左に曲がっているが比較的まっすぐの道が続いている。
軌道跡が途切れていたのは東名高速道路のみで綺麗にトレースできている。
第5回につづく