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◆気賀口駅 - 正楽寺駅

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この画像は前回の気賀口駅レポートの最後の画像だ。今回はここからスタートする。
少し先で右にカーブしてすぐに橋があるのだが、軌道跡はこの橋は渡らず、手前の土手を進んでいく。

ここで前回でも使用した画像を一度見ていただきたい。
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一番左の丸が気賀口駅なのだが、そこから先のピンクの軌道が恐ろしいことに川を斜めに横断している!!
これは本当なのか。この目で確認しなくてはいけない。



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ということで橋の付け根にやってきた。軌道跡の土手の上を進んでいきたいと思う。
ここは普段からどこかの工場の出入りで使用されている道らしく、砂利ではあるが非常に平坦で綺麗に舗装されていた。




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地図でも見たように右へ緩やかに弧を描いていく。
しかし初回探索では足が痛すぎたし、時間もやばくなってきたのでここで折り返して、先へ進んでしまった笑。

この先は初回探索ではまったくもって興味がなくなっていた。この辺りから「とりあえず無事にゴールへ」という目標に変わりかけていたのは言うまでもない笑。
ゆえに見つけられないものも多かったのだが。




==========<追加探索>==========
ということで再探索でこの続きを補いたいと思う。
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まだ日が昇っていない朝、初回探索で引き返した場所までやってきた、車で笑。
車って楽なんだな~。僕らが初回探索で10時間かけた道のりも、1時間で走り終えてしまった。




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現代の力を駆使し(代車デミオ君)でさらに200mくらい先に進んできた。
この奥付近に橋がかかっていたと思うのだが。。。




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猫短借さんと注意しながら土手を探索していく。しかし何も見当たらない。。




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水門が姿を現した。しかしこの周辺にも橋の痕跡らしきものは何も見当たらなかった。
はやりこの場所ではないのか。



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対岸を撮影してみたが・・・何にも見えないなぁ・・・。
土手も綺麗にコンクリート整備されてしまっているので、すべて遺構は取り払ってしまったのだろうか。




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振り返って撮影。こちら側の岸もコンクリートでがちがちに固められていたので、遺構はすべて撤去されてしまったのかもしれない。残念だ。



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ひとまず軌道跡とは何も関係なさそうな、この水門を撮影し、この場を去ることにした。
20分くらいウロウロしたのだが見つけられず、非常に残念だ。

ひとまず対岸へ向かうためにここを引き返す。




<閑話休題>
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気賀口駅から見ることができた橋まで戻ってきた。この橋は清水橋という。

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どこかのレポートで「姫街道」の説明としても記載したが、もう一度おさらい。
浜松には新井の関所と気賀の関所があったのだかこの付近に気賀の関所が存在していた。
新井の関所は船を使って渡らなくてはならず、かつ検査が厳しかったため(衣服を脱ぐこともあり)姫様には嫌がられる場所であった。
しかし気賀の関所は陸続きで、かつ検査が緩かったので、姫様たちはみんな気賀の関所を通過していた。
それ以来姫様が使う道を姫街道と言われている。

話しは現代に戻り、今でも姫様道中という催しが毎年開催されていて、気賀の関所で20前後の女性が当時の衣服を来て街中を歩いて春の風物詩になっている。

この橋のデザインもそこから来ているものだ。

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話しを探索に戻したい。清水橋を渡り迂回して橋の反対側を目指している。
きっとこの景色のどこかに橋がかかっていたんだろうなぁ。



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対岸へやってきた。右奥の方に水門が見える。
この辺に遺構がないか探してみたいと思う。
それにしても綺麗に整備された土手だなぁ。歩くと芝生がふかふかして痛む足には心地よかった。



この土手をウロウロしていたら・・・

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何これ?!?!

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何これ~~~?!?!
完全に橋台と思われるものを発見した!!
このときは再探索で見つけているのだが、初回探索で見つけていたら疲れが吹っ飛んでいただろう。

しかし再探索で見つけたときも非常にテンションが上がった。

橋がかかっていたことを証明することができる!!
そして角度も知ることができる!!

その角度とはいかほどのものだったのか。気になる気になる。
もう一度土手の上に立ってみた。
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左手前の木製バリケードが乗せされているのが二つ上の画像のコンクリート片。
そして奥の2階が白い家の手前角にちょこんと見えているのが一つ上の画像のコンクリート片。




これらの位置や角度をすべて考えると橋は下記のようになっていたことが分かった。

少し話を川の手前に戻して見直したいと思う。
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気賀口側の土手を振り返って撮影した画像。
奥から手前に向かって軌道が敷かれて、この付近に橋の始まりが存在していた。





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そして、陸を離れ川を黄色いマークのように斜めに渡っていた。



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横から見るとこの辺にかかっていた。




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正楽寺駅側から振り返って撮影した画像。
奥の気賀口駅からこのように非常に斜めの角度で奥側から手前に橋がかけられていた。

しかし対岸には遺構は見当たらなかった。もしかしたら草に隠れているのかもしれないが、それは分からない。




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そしてこの様に橋は終点を迎え、住宅街のある方向へ吸い込まれていく。


地図で見るとこうなる。
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左下の丸が気賀口だ。
角度は違うかもしれないが、この位置に斜めに橋がかけられていたことは間違いない。
当時の画像か何かあればさらに信憑性は増すのだが。今後も調査を続けていきたい。

再探索を含め橋のレポートはここまでとしたい。
とにかく位置も角度も地図に表現できて満足だ。後は当時の写真が見たい。猫短借さんよろしく。
==========<追加探索/考察ここまで>==========



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住宅に飲み込まれてしまった軌道跡は区画整理によってなくなってしまっていた。
少し先に軌道跡が復活していたのでそこから探索を続ける。




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ここからは緩やかな上り坂になって行く。
右に大きく弧を描き、そしてもう一度左に大きく弧を描き進行方向を整えている。





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途中この様な花壇のようなものがあった。
探索当時「ここ駅じゃね?!」って猫短借さんと非常に盛り上がっていたのだ。
だから無駄に画像が多い。




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この銀の鉄製の掲示板は奥山線に限らずその土地の歴史や特徴を記載しているようだ。
こういうのがあると探索も楽しくなる。
一通り全部読みながら探索を続けているが、10歩あるけば忘れる笑。




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静岡県という石杭が頭上に・・・。軌道跡と関係があるのか??
詳しい方教えていただきたい。




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そしてあっという間であるが、ここが正楽寺駅跡地だ。
なぜこの画像でそんな簡単にわかるかって?

僕も最初はまったく気付かなく、「この変なんだけどなぁ~」ってずっと正面に続く道と地図を照らし合わせていたのだが右をみたら、
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分かりやす笑!!

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うんうん、素晴らしい心意気。県や国が遺構を残さなくても、昔からこの地に住む、土地を知り尽くした住民の皆さまが、軌道跡や歴史を大事に大事にしてくれています。

遺構がなくなっていくことは仕方がないことで、でもかなしいことだけど、それを守ろうとする人たちの気持ちが強く根付くことも、それはそれで嬉しく人っていいなと思うところでもある。



今回はひと区間だけのレポートになってしまったが、橋で満足いただけたのではないだろうか。
今回の軌道跡は地図で記載するとこのようになる。
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左下が気賀口駅、上が正楽寺駅だ。

この斜めにかかる橋の画像が見たくて見たくて仕方がない。
そもそも橋の名前わからない笑。


次回から細い道をくねくねと奥山まで探索が続いていく。


第11回に続く