前回、消えた橋を見ることができた。今回は正楽寺駅から歩みを進める。
◆正楽寺駅 - 井伊谷駅
2011/12/11 14:21
ここは正楽寺駅の場所だ。道は右へ曲がって行くのだが、軌道跡はこのまま正面へ突き進んでいく。
目の前の交差点へ行ってみよう。
今は小屋が設置されていて先が見通せないが、軌道はここを左へまっすぐ進んでいた。
県道303号線とはここで別れる。
10m進むを左に道が見えてくる。この木の陰に隠された少しくらい道を進んでいく。
とりあえず足がマジで痛いです・・・。
交差点から100mくらい進んできただろうか。左にミカン畑が広がっている。
ここもさりげないが軌道が小さい割堀を築いている。
ここのミカン畑で猫短借さんがここが軌道跡だったことを証明するものを撮影していた。
これが猫短借さんが撮影した画像だ。この石杭の『工』という文字は覚えているだろうか。
そう、これは岡地駅の所で見つけた天竜浜名湖鉄道の石杭に形は違えど同意である。
今は線路はないのだが、この石杭は残されていたのだろう。
かなり価値のあるものを猫短借さんは撮影していた。すばらしい。
割堀が徐々に徐々に深くなってきた。100m先は割堀が終わっている。
ここまでずっとほぼ直線で進んできた。割堀の終わりから右に曲線を描いている。
割堀が終わると、いきなり両側が低くなっているのが分かった。
まずは左側を撮影。
そして右側も。木々に隠れてしまっているが、かなり高低差があった。
線路を作る前はきっとここは深い谷になっていたため、土を盛って線路の場所を確保したのであろう。
それにしても綺麗な盛土だ。
盛り土を下から見上げて撮影してみた。斜面も綺麗な角度を保っている。
う、美しい・・・。
両側の視界が開けた盛り土を楽しみつつ前へ前進する。
この周辺に盛り土を作ったことによって、水が貯まらないように水用トンネルが作られているようで、そのトンネルも今でも当時のまま残っているということだ。
今回の探索では時間と体力がなく捜索は見送った。
少し行くと神社が道路沿いにあった。これも当時から崇められているものであろう。
盛り土付近で右にカーブし、神社を過ぎたあたりで左に大きく弧を描くのだが、その弧の頂点に井伊谷駅があった。今では何も残っていないのだが左の花壇が「それっぽい名残」を演出してくれている。
◆井伊谷駅 - 四村駅
井伊谷駅を過ぎても大きな左カーブが続く。両側に木々が生い茂りさらに森の中へ入って行く印象だ。
このような岩を切り崩した綺麗な割堀がいくつも存在していて、ここの探索は非常に楽しかった。
でも足痛い・・・。
狭い道なのにもかかわらず、交通量が非常に多い。
先程おわかれした県道303号線の裏道になっているらしく1分おき位に車が結構なスピードで通過していく。
右に不自然な平地があったが軌道跡とは関係があるのだろうか。
あぁ、また車が来たよ・・・みんな歩行者歩いてるんだからもう少しスピード落としてくれよ・・・。
この付近で大きな弧を描く左カーブは終わりある程度まっすぐな道が進む。
くねくね進んでいるように見えるが地図で見ると北西にまっすぐ進んでいる印象だ。
このような道をしばらく進んでいく。
左にカーブしているところで、右側が低くなっているところがあった。
水の音が聞こえていたので覗き込んで見た。
おお、癒しの空間だ。しかし、12月。やっぱり寒いな・・・。
いつの間にか川沿いに近づいていたようだ。列車からの景色も非常に綺麗だったんだろう。
森に軌道跡が吸い込まれていく。
少し行くと右側に何や木製のバリケードが設置されている。
おお・・・道が崩れている・・・。夏過ぎの大雨の被害は非常に大きな被害をもたらしている。
ここにもつめ跡が残されていた。
森を抜けだせそうな景色だ。明るみが眩しい。
でも温かいところに早く行きたい。寒い・・・。
明るみに出ると狭い橋が見えた。軌道もここは橋を使って渡っていた。
えええええ・・・すげー狭いところトラック走ってきた。
運転手、かっこいいぞ笑!!
でも僕らが歩いていたら引かれていた笑。それくらいの狭さだ。
左に綺麗な弧を描く橋である。橋台に名残があるかもしれないが軽く覗き込んだ感じなさそうであったので、そのまま先へ進んだ。
ぐぐぐって緩やかーに左に弧を描く。住宅がちらほら見えてきた。
この辺は引佐町の町あ広がっている。
この200mほど先に四村駅付近だ。
少し前まで四村駅の建物が残っていたらしい。今はどうだろうか。
四村駅付近までやってきた。この辺にあると思うのだが・・・。
でもネットで見たような建物は何も残っていない。この変だと思うのだが。
すぐ北側には正楽寺駅過ぎでお別れした県道303号線が近くまで近づいてきている。
その大きな道まで一度出てみて、何かヒントがないか確認してみる。
303号線に出る前にこのような古い建物が存在していた。
きっとこの建物も奥山線の歴史を知っているのだろう。
この砂利道で303号線へ出てみたのだが何もヒントは見つけられなかった。
そして、軌道跡に戻ろうとしたとき・・・
おおおおおおお!!
送運村四!!!逆だ笑!!
四村運送という文字!!
これは当時この辺に駅が存在していて、その駅から色々な物を電車で運んでいた。
その荷物の整理をしていたのがこの場所ではないだろうか。
今でも高速のインターの近くや駅の周辺には運送会社が多く存在している。
昔から人々の生活を支えるため物資の流通には電車が欠かせなかったということだ。
駅の場所が明確ではないがこの周辺で間違いなさそうだ。
==========<追加探索>==========
12/18
ということで再探索で四村駅の場所が分かったので報告しておきたい。
上の初回探索でも「この辺」として画像を撮っていたのだがその中に四村駅付近が写っていた。
3つ上の画像の木製のバリケードがあったと思うのだがそこが四村駅だった。
建物の画像がいろんなネットで掲載されているが、今回の探索でも非常に参考にさせていただいている
外部リンク『遠州鉄道奥山線を訪ねて』様から転載させていただきます。
すこし前まで存在していたらしい。見れなくて残念だ。老朽化が激しく取り壊されてしまったらしい。
つい最近までこの建物とこの場所が売りに出されていたらしい。鉄道ファンが購入したのだろうか笑?
==========<追加探索ここまで>==========
◆四村駅 - 田畑駅
四村駅を過ぎて、なお民家の間をするりするりと軌道跡は進んでいく。
軌道跡はまっすぐまっすぐ進んでいく。
猫短借さんが野良猫を見つけたようで非常に反応している!!
猫短借と言うくらいだから、猫が好きで好きでたまらないのだ笑。
猫を見つけてウロウロしてたらどっちが野良猫だかわからない笑。
猫を撮影する「野良猫」は放っておいて先に歩みを進める、足も痛いし笑。
軌道跡を進むといきなり右に折れてしまった。
しかし軌道はこのまままっすぐ進んでいた。
ここを右に折れ曲がるとすぐに県道303号線とクロスする。
県道303号線には用がないので303号線を横断し、軌道跡の続きを進んでいく。
民家は途切れ、ここからは山の斜面に軌道跡が形成されていた。
このような道がひたすら伸びていく。
この道は「竜ヶ岩洞」への連絡道にもなっていて、時折一般車が通過する。
軌道跡らしく勾配もきつくなく少し先まで見渡せる景色が気もちいい。
右側には石垣が築かれている。
ここは登り勾配から下りに変わるところで地面の斜面が緩やかに弧を描いて盛り上がっている感じがとても綺麗にかんした。
「林間」区間を通過すると開けた場所に出てきた。奥の山々の景色がとてもすがすがしい。
ここから山間部をまっすぐと軌道跡が走っていたのだろう。
しばらくするとフィッシュパークの看板が現れた。
夏には結構賑わう場所だ。
近くには先程も記載したが「竜ヶ岩洞」という鍾乳洞があるのだ。
真夏でもかなり涼しく天然のエアコンを求めて観光客が殺到する。
余談だが、竜ヶ岩洞には東海地区の観光バスのバスガイドのオススメナンバー1と称されるアイスがある。
以前食べてみたが、非常に美味しかった。いろんな味があって選ぶ時も非常に楽しめる。
そしてここの砂利の駐車場に田畑駅が存在していた。
今はすっかり姿を消してしまっている。
ちなみにここの交差点を右に行くと「竜ヶ岩洞」がある。
交差点にはこの様な水車の名残が存在していた。当時のものだろうか。
電車の車窓から見えた景色にこの水車が回転している「のどかな風景」が存在していたのかもしれない。
少し脱線だが上の交差点を左に曲がると古い橋がかかっていた。
この橋の名前は「田畑橋」。この場所が「田畑」ということを証明してくれた代物だ。
逆光になるほど太陽が傾いてきてしまった。日が暮れる前に探索を終えたい。
ということで先に歩みを進めていきたいと思う。
今回の探索ルートはこちら。
下から正楽寺駅、井伊谷駅、四村駅、田畑駅だ。
山の中とまばらの民家の間をすり抜けていくような軌道跡だった。
四村駅手前の左曲がりの橋の下には当時の名残があるらしいが探索できていないのが名残惜しい。
「四村運送」の発見には非常に興奮した、今回の探索区間だ。
探索も終盤。奥山駅まで残りもわずか。
最終回につづく